文学部・英語体験記

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リラックスできる英語

文学部言語文化学科英語英米文学専修課程4年
中原 遼太

学部では「肩の力の抜けた多様な英語」で文学を学べたように思う。試験科目としての畏まった英語こそが正しい英語だと、駒場の頃の自分はそう思っていた。正統なアメリカ/イギリス文化に従う国語としての英語。学部では、そうした一面的な偏見から離れて、多様性ある世界語としての英語の文学や映像作品に触れられたように思う。

例えば、作品の鑑賞ののちに、記述ワークやディスカッションを行う講義がある。そこではシェイクスピアなどの古典から「パイレーツ・オブ・カリビアン」などの最近の作品まで幅広く読解・視聴し、英国人教授の問いに答える。

英語講義なので辞書を引く習慣が身につく。記述の問いには親切なものが多く、文学について英語で考えるとき何を問うと面白いか?という文脈への感覚が養われる。そうやってリテラシーを身につけた上で、ナイジェリアからカリブ海まで様々な場所の作品に改めて触れる。すると、英米国語としての正しい英語に対する劣等感は薄れ、世界語としての賑やかで多様な英語の側に自分もリラックスして参加してみようという気分になる。

話を英文科から少し広げると、翻訳文化に触れる機会が多いのも本学部の特徴だ。私たちは明治このかた翻訳によって近代文化を輸入しており、それは現代の私たちの語彙や思考に大きく影響している。自分で訳す、あるいは翻訳上の問題を学ぶ講義や演習は、近代知識人たちの足取りを追いかける良い機会だった。

にがい表情をした近代知識人たちは、翻訳によって豊かな社会と本棚を私たちに用意してくれた。けれども世界中の人が各々なりの英語で直接やりとりする時代になってみると、翻訳文化由来の、正しさにこだわる試験向け英語はときに重苦しく感じられる。

そんな過渡期にあって、外国語を通じてものごとを相対化する知識を身につけると、楽ができたり、物質的精神的に豊かになれたりするように思います。

2019.3.31
文/東京大学文学部言語文化学科英語英米文学専修課程4年 中原 遼太