「創作なしでは生きられない」―東大イマジナティヴ
第2回:前編 人工世界クリエイター 中野智宏

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東大イマジナティヴは「発想・発見・想像力に富んだモノの見方、考え方」と「自分発の世界観」を軸に社会で活躍されている先輩から、お話を伺う企画です。今感じている不確かな思いも、きっとすべてがなりたい自分につながっているはずです。
多種多様なスタイルをもつ先輩方の考え方をヒントに、新たな1歩を踏み出そう!

第2回は、人工世界クリエイターの中野智宏さん。新しいファンタジーを創造すべく言語、音楽、映像、小説と幅広く、そしてひたむきに制作を続けている本学の現役大学院生です。「世界を0から創る」という壮大な構想を生み出す原動力とは、そして人工言語は一体どういう仕組みなのか。今回も個性が光る目線からお話をお届けいたします。

中野 智宏

NAKANO TOMOHIRO

1998年、京都府生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻 言語学研究室在籍。小学生の頃から人工世界や言語の創作活動を始め、東大在籍中に人工世界「フィラクスナーレ」を題材にした長編映画『世界のあいだ』を発表。人工言語の独自性が注目され、バラエティー番組『タモリ倶楽部』にも取り上げられる新進気鋭の作家。
中野智宏 公式サイト:https://tomohironakano.com/

ファンタジーの世界に救われた幼少期

  • フィラクスナーレと呼ばれる架空の人工世界の創作を続けられていますが、その創作を始めるきっかけは何だったんですか。

6歳頃から親の仕事の都合で1年半パリに住んでいたことがあって、フランス語も全くわからない状態で現地校に入ったんですけど、やっぱり言語の壁をすごく感じていて、そんな日々の転機になったのが、当時映画化されていた『ハリー・ポッター』でした。そこからファンタジーの世界に魅了されていって、帰国後も『ゲド戦記』や『はてしない物語』など、たくさんのファンタジー作品に触れていくうちに、自分でも小説を書いてみたいと思って書き始めたのが、フィラクスナーレの原点です。

  • 物語を書くことから架空の世界がどんどん広がっていったのでしょうか。

『ハリー・ポッター』が小説から映画になったように、自分の物語もいつか映像として仕上げられたらいいなと小さい頃から思っていました。物語を書きたいということが前提にあってストーリーを組み立てていく中で、そこから「世界を創ろう」、「言語も創ろう」って、どんどん発展させていった感じです。今日は、初代の創作ノートを持ってきたので、ぜひ、お手に取ってご覧ください。

ドラゴンのイラストやドラゴンが話す架空の言語が書いてあるページ
小学校高学年の頃の貴重な創作ノートを見せてもらいました
  • すごいですね!文字もイラストも本格的でノートにびっしり書かれていますが、これは何年生の頃の創作ノートですか。

初代のノートは、小学校5年生くらいですかね。そのときに好きだったドラゴンのイラストやドラゴンが話す架空の言語が書いてあります。文字もイラストも誰かに習ったわけではなくて、もともと絵を描いたり、デザインしたりすることにも興味があって、小さい頃から洋書の古い書体を真似して書いたり、大好きなミッキーマウスを描いたりしていました。 制作初期に、すでに架空の文字や人工世界、人工言語の源流があったと自分でも思いますね。

アングロ=サクソン・ルーン文字に影響を受けた架空の言語が書いてあるページ
アングロ=サクソン・ルーン文字に影響を受けた文字
  • この架空の文字は何と書いてあるんでしょうか。

これは当時の私にしかわからないんですよ(笑)。今となっては設定を忘れて読めないものもあります。ルーン文字を使って書いているところは読めますが、例えば、これはルーン文字を少しいじったものなんですけど、普通にウィキペディアとか見ても載っているようなアングロ=サクソン・ルーンっていう種類のルーン文字にちょっと改変を加えた感じですね。

  • 子どもの頃の発想ってすごく面白いのに、大人になるとすっかり忘れてしまうことも多いと思うのですが、小学校の頃からの興味を、今もずっと発展させて創作を続けてこられたのが素敵ですね。

ずっと自分が架空の世界、別世界に対して向けている興味を自分自身で止めなかったことが、ここまで続けてこられた一番の理由だと思います。やっぱり創作を続けていく中で、「何か変なやつだ」っていう扱いを受けたり、壁を感じたりといろいろあったんですけど、その時にそれがつらいからやめたほうがいいのかなと思ったことはあっても、じゃあ、やめられるのかっていうと、やめられないんだと。自分はこういう人間だから、こうやって生きていくしかないんだと、開き直った気持ちもあったと思います。

閉じられた世界のなかで

  • 中高生時代はどのように過ごされていましたか。

中高生時代は周りから「厨二病」っていう言葉を使って、すごく変なことをしている人という扱いを受けていました。創作をしているということに限らず、一般的にあまり興味を持たないような言語に注目して夢中になったり、世界史の教科書の片隅にしか出てこないサンスクリット語に興味があって仏教やお経の勉強をしたりしていたので、「なんだ、あいつは!」という扱いを受けたこともありました。カトリックの学校だったので・・・。

  • 多様性を受け入れるのがまだ難しい時期に、自分の創作について語れる仲間がいない環境での創作活動の支えとなっていたものは何かありますか。

今でも、人工世界、人工言語の創作は「そんな架空の設定を作って何の意味があるんだ」って結構言われるんですけど、その当時も、音楽や絵画といったほかの創作をしている人たちにすら、何がそんなに面白いのかあまり理解してもらえなかったですね。なかなか認めてもらえない環境で創作を続けるのはさすがにしんどかったです。そんな中でも、家族はずっと私のやっていることを理解してくれて、創作活動をいつも支えてくれました。そうやって認めてくれる環境があったからこそ、続けられたんだと思います。

  • 今、やりたいことに自信が持てない中高校生も多いと思うのですが、それでも自分が本当にやりたいことをし続けるためのアドバイスがあれば教えてください。

今、自分の興味を通じて、何かできることを探っていくことができているなら、それを諦めずに続けていくことが、世界のためにも自分のためにもなるということですかね。
中学や高校って、1つの小さな閉じられた世界なんですよね。大学に入って、自分でも実感したんですけど、ひとたび中学や高校の境界から出て、大学を出て、さらには社会に出てって続けていく中で、どんどん世界が開けていくんです。

日本全国に数千、数万もある学校の中のひとつでしかありません。

大学に入っても、まだ何をやりたいか迷っている人も多いので、中高生の段階で明確に何かやりたいってことがあるのなら、それはもう本当に素晴らしいことなんですよ。もし、苦しんでいたり、まわりに理解されなくて悩んでいたりしても、どこかの段階できっと誰かから理解してもらえたり、仲間がどんどん集まってきたりするので、続けていくことがやっぱり大切なんだと思います。

ひたすら妥協のない日々

  • 多忙な高校生活の中で創作活動も続けながら東大を目指そうって思ったきっかけは何だったのですか。

ひとつは、上位50人くらいが毎年東大に合格するような進学校に在籍していて、ちょうど自分の成績が上位50位くらいだったので、東大を目指すのが自然な成り行きだったというのもあります。もうひとつは高校2年の時に『指輪物語』を読んで、作者のJ・R・R・トールキンに憧れたことですね。

彼の綿密な架空世界では言語が重要な要素を占めていましたし、彼自身が言語学の教授として活動する傍ら創作をしていて、私の理想のロールモデルを体現していたんですよね。なので、一番自由に研究とか勉強ができて、なおかつ国際的に通用するような、アカデミックな力を身に付けられる場所を探したら、それが東京大学だったんです。

  • 創作活動と受験勉強を両立させるためにさまざまな工夫や努力をされたと思うのですが・・・。

いや、もうほんとに大変でしたね。実は私、大の塾嫌いでして、予備校に全く通わなかったんですね。中学受験の時に自分には合わないタイプの塾に通ってしまって、それ以来、すごく嫌いになってしまったんです。なので、大学の受験勉強は、学校で課される課題をひたすらこなしていました。特に数学はかなり苦手だったのと、世界史と地理は覚えることが多かったので、ほんとに赤本を何周もして対策をしました。家でも部屋に一人でこもって、一日中、何時間も勉強をしていましたね。特に最後の1年は、ほんとにぎちぎちにスケジュールを詰めてやっていました。

  • 当時の気迫が伝わってきますね。では、東大に入学してからはどのように過ごされてきましたか。

自分で言うのもなんですけども、かなり真面目に授業を受けています。休学期間を含めた5年間を通じて、ほとんど授業を休んだことはないですね。最初の2年間は特に語学に力を注いでいました。教養学部ではTLPでフランス語を履修して、当時は週3〜4コマをフランス語に費やして、研修にもいきました。教養の段階では幅広い科目が取れるので「人工世界をつくるために頑張るぞ!」とモチベーションを上げながら、自分のあまり得意ではない宇宙科学とかも進んで履修していましたね。
後期はGLPに入ったのですが、半月に1〜2回ぐらいのペースで特殊な時間割が組み込まれたり、夏とか冬に海外プログラムもあったりで、かなり大変ではあったんですけど、自分の糧にしたい一心でちゃんと完遂しました。始めたことは最後までちゃんとやりたいというタイプの人間なんですよ。

※TLP(東京大学トライリンガル・プログラム)
※GLP(グローバルリーダー育成プログラム)

  • 現在、大学院で言語学を研究されていますが、その学びはどのように創作活動につなげているのですか。

人工世界を創る上で、本当に全てがプラスになるというかインプットにつながるんです。例えば、言語学演習で人の発表を聞いて、自分が聞いたことも見たこともないような分野の全然知らない言語の話をされて、この特徴が面白いなと思ったら、次の人工言語制作に取り入れています。「ケルト懐疑論」(一部の考古学者や言語学者によって信じられている「ケルト民族」なる概念の存在を否定する学説)についての議論を学会で聞いた時は、考古学と言語学以外にその2つの橋渡し的な分野の話も出てきて、民族や人の移動、考古学の知識など、どれも人工世界に活かせることばかりでした。例を挙げたらキリがないくらい、全ての授業だったり演習だったり、目の前のもの全てが、人工世界の何かにつながっているっていう感じです。

  • 創作活動も勉強も何でもスマートにこなしてやっていらっしゃるイメージがあるんですけど、中野さんにも苦手なことってありますか。

あります、あります(笑)。特に体育が苦手なんですよ。運動をすることにあんまり楽しみを覚えたことがなくて、しかもそれに成績がつけられちゃうというのが苦手ポイントなのかもしれません。でも、マイケル・ジャクソンが大好きなのでダンスだけは得意なんです!

取材/2022年3月
作品写真提供/中野智宏
インタビュー撮影/江上嘉郁
WEB構成/肥後沙結美
インタビュー・構成/「キミの東大」企画・編集チーム