ちょっとひといき ちょっとひととき(1) 

2022.03.16

東大生コラム

テーマを絞って発信する東大生のコラム企画

第1回目のテーマは「サヨナラしたいこと~その先へ」。卒業シーズンがやってきました!卒業生も卒業生でない方もサヨナラしたいことはありませんか?サヨナラは次に進むための通過点なのかもしれません。東大生をより身近に感じられるコラムを今月からお届けいたします。

「積ん読」にサヨナラ

法学部3年 3days ago

僕がサヨナラしたいのは、たまりにたまった「積ん読」だ。
本屋でたまたま見かけ、装丁が気に入ってつい購入した本。知人がおすすめしていたため、気になって手に入れた本。授業の参考書に指定されていたので、用意だけはしておいた本。様々な事情により入手した「積ん読」が、いよいよ消化しきれなくなってきている。皆さんも、手元に抱えているけどなかなか読めていない、という本はないだろうか?
僕は、長期休みに入るたびに必ず「今回こそは」と張り切ってみている。しかし、なかなか全てを消化するには至らないのだ。一度は興味を持った本なのになかなか読めないというのは、なんとももどかしい。サヨナラするにも、それなりの覚悟がいるということだろう。
そういえばどこかで、「『積ん読』は消化できなくても良い。当時の自分が気になって購入した、という痕跡が残っているだけでも十分」という話を耳にしたことがある。これに従って、サヨナラするのをしばらく先延ばしにしても良い……というのは甘えだろうか。

この1年で築き上げた「積ん読」の全貌

 

さらばスタミナ不足

経済学部4年 M.N

やりたいことがたくさんある。卒業を控えて暇なはずの現在も、語学の勉強や演劇サークルの卒業公演、大学のプログラムでの最終提案作り、趣味で出すフリーペーパーの作成などなど、さまざまなことに取り組んでいる。
……なんて、こう書くといかにも充実した大学生活を送っているように見えるが、実際は手を広げすぎて自分のキャパシティを超えてしまい、全てが中途半端になってしまうのが長年の悩みだ。例えばサークルの活動が忙しい時は、帰宅してご飯を食べると倒れるように寝てしまい、勉強が手につかない時期もあった。またサークルやゼミ、大学プログラムなど色々な活動の締め切りを調整し切れず、期限を破って他のメンバーに迷惑をかけたこともあった。
『心身ともにスタミナ不足!』そんな自分を何度情けなく思ったことか。
私はこの春、社会人として働き始めるが、きっと学生時代よりも責任は増え、自分の時間は減っていくだろうと思う。だが、一分一秒を大切に努力し、何事も熱意を持ってやり遂げるスタミナをつけていきたい。

 

Hello, my self

文科二類2年 折原 斎

まだまだ肌寒い日はあるものの、時折私たちを包み込む朗らかな日差しは間も無く春が訪れることを私達に教えてくれている。春といえば出会いと別れの季節である。学生にとっては3月の卒業式で旧友達との別れを経験し、4月の入学式で新たな仲間と出会うこととなるわけだが、私には4月の大学入学を機に別れてしまった存在がいる。それは高校までの自分自身である。いわゆる「大学デビュー」の中でそれまでの自己像とお別れしたのだ。それまでの私はアニメや漫画が好きで声優の追っかけをする人間だったが、大学入学後は周りが流行りのアニメの話をしていても特に話の輪に加わることはなく自分がオタクであることは噯にも出さなくなった。周りから奇異な目で見られることを恐れた私の努力の甲斐もあってきっと大学の友人の多くは私が熱心なオタクであることは知らないだろう
しかし2年近くが経ってようやく気づいたが、やはり好きなものは好きな訳で、周りの目を気にして興味のないふりをするなんてなんと愚かだったのだろうか。だから私はこの春で大学入学時に作り上げた「理想」の自己像とお別れしようと思う。そして再び出会うのだ、本来の私と。

別れと出会いの象徴ともいえる桜

 

「普通に」食べたい!

医学系研究科 P.P

私は「食」との不健康な関係性とサヨナラしたい。
大学2年生の頃、人間関係のストレスをきっかけに過食でストレス解消することを覚えた。サークルから帰ってきて冷蔵庫の前でひたすら白米を食べ、コンビニとアパートを往復し、アイスを3個、菓子パンを5個・・・など食べる。罪悪感から下剤を飲む。もちろん気持ち悪くなって横になれず、疲れたまま翌日が来る。その繰り返しだ。
幸いに、実家に帰れたことをきっかけに少し改善したが、今でもストレスや疲れが溜まると過食に走ってしまう。
ダイエットと過食の狭間で、「食」はいつしか私の永遠のテーマとなった。 食べるのが好きだけど痩せて可愛くなりたい。過食に陥っていないときでも、常に健康食を意識し、カロリー計算しないと不安になってしまう。自分が許可したものしか食べたくない。 いつからか純粋に美味しそうだからという理由で食事を選べなくなってしまった。
でも、何がきっかけでそんな自分も許容できるようになるかはわからない。こうやって、文にして気持ちを届けたことで、少しでも何かが変わればいいなと思う。

 

自作の文章

文科二類2年 O.Y.

自分の書く文章を嫌ってしまうこととサヨナラしたい。
書いている時はそれほどでもないのだが、少し時間が経ってから文章を見返してみると、むず痒いような感じがしてくる。「自分の垢がついている」とも感じる。書いた内容はもちろん、場合によっては句読点の位置すら、どうも気に食わないのだ。学期末に書くことになるレポートも、数ヶ月後経ってからは見返したくないし、創作欲が湧いてきて小説をつくろうとするときには、2000文字くらい書いた数分後に、全て消してしまうこともある。自分なりのオリジナルとして考えたことが多いほど、一層強く文章を嫌っているのだから、客観的に見た自分のアイデアを恥と考えているのではないかと思う。多くの人も幼少期の創作を「恥ずかしい」と思うだろうが、それが私の場合強いのだと思う。
果たしてこの問題は、自分のことをもっと愛してあげられるならば解決するのだろうか。それとも、もっと自分の文章に慣れる必要があるのだろうか。どうも私にとって、この問題の解決までの道のりは長そうだ。

書くことと影

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