東大だからできた!卒論・卒研に没頭できる理由―「キミに伝えたい」卒業論文・卒業研究(3)
卒業論文・卒業研究 2021.06.11
2021.06.08
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「キミに伝えたい」卒業論文・卒業研究
前回に続き、この春卒業した東大生4人による卒論座談会の第2回の模様をお届けします。今回は卒論テーマを決めてから、実際に研究を進めて1本の論文に仕上げるまでの紆余曲折を語っていただきました。
寝ても覚めても卒論がちらつく学部4年の過ごし方とは⁉ 新型コロナ感染症の影響もあり、“四者四様”の1年間となったようです。
PROFILE
■穗原 充さん(教養学部教養学科地域文化研究分科 ロシア・東欧研究コース卒業)
卒論テーマは『モスクワ市営地下鉄の役割の変化―スターリン期とフルシチョフ期』。春からは大学院に進学。
■高木 美咲さん(教養学部 学際科学科 地理・空間コース卒業)
卒論テーマは『川崎港における外貿コンテナ機能の変遷と港湾間連携』。春からは民間企業に就職。
■長原 颯大さん(工学部マテリアル工学科卒業)
卒論テーマは『ゲルにおける負のエネルギー弾性:分子動力学計算による起源の解明』。春からは大学院に進学。
■脇山 由基さん(理学部生物学科卒業)
卒研テーマは『縄文人のゲノム解析』。春からは大学院に進学。
――「研究」ってどのように進めていくのでしょうか? どのようなスケジュールで進めましたか?
穗原 私の卒論は文献調査を軸にして研究を進めていきました。データ分析も行いましたが、海外渡航制限のために十分にフィールドワークが行えず、苦戦する部分もありました。
日本の研究者が少ない分野だし、文献はほとんどが英語かロシア語でした。探し出すのにひと仕事、さらに読むのも日本語のようにすんなりとはいかない。片時も辞書を手放せなかったです。7月に入ると、片っ端から文献を読み漁っていましたね。
高木 3年の2月に川崎港を研究すると確定したら、4月頃まで文献を読みながら研究内容を細かく検討し、6月頃に方向性をまとめていきました。ちょうど就活の時期と重なっていて、企業の面接を受けて、その足で国会図書館に移動して文献を探す…といったことの繰り返しでしたね。
夏場は、アポイントをとって現地調査に出向きつつ、統計データを整理していました。
――実際に論文にまとめる作業はいつ頃から始めましたか?
高木 論文にまとめる作業を始めたのは、秋に入ってからです。スケジューリングはゼミの時間をマイルストーンにして、冬頃から猛チャージをかけてまとめていました。
穗原さんはどうでしたか?
穗原 私の場合、最終的にロシア語にする必要があったので、まず日本語で論文を書いて、それを翻訳するという流れで進めていきましたね。10月から翻訳に入るつもりで、8月頃から部分的に書き始めました。順序は最後に調整すればいいと考えて、パーツ単位で文章をまとめた感じです。
高木 ロシア語に訳す分、早めに進めなきゃっていうプレッシャーもありますね。
穗原 そうですね。でも結局、軸が定まったのは11月に入ってから。情報が多くなって収集がつかなくなり、オチにあたる部分が決まったのは提出の3日前。とにかくギリギリでした。提出が1月中旬だったので、クリスマスまでに書き上げるつもりでいたけど、結局年を越しても格闘してました。
――色々な種類のデータをまとめて1本の卒論にするのは、なかなか大変な作業なんですね。
高木 この点は私も苦労しました。指導してくださった先生は、できるところまで自分でやってみなさいという方針だったので、できる限り自分で頑張って、提出するまでに何度か添削を受けながら進めました。先生や先輩方から内容に関する鋭い質問をされると、考えが深まりましたね。学科の学生室や図書館で先輩にお会いしたときに論文を見せて、アドバイスをお願いしたり、オンライン授業のチャット機能を使ってコメントをいただくこともありました。
――脇山さんと長原さんは、実験でデータを集める作業が入りますね。
脇山 私は、先生と相談して決めた2つのテーマのうちの1つが実習の授業で習った解析方法が使えそうだったので試してみたんですが、思うようにデータが得られませんでした。1週間くらいで初めの解析データが得られると思っていたので、最初から既に想定外の事態に。
そこでもう1つのテーマに切り替えたんですが、これは今まで習った方法だとうまく解析できそうもない。それで、新たに論文を読んだりしなければならなくなりました。さらに、普通のコンピューターでは解析に時間がかかりすぎることがわかって、スーパーコンピューター(スパコン)の利用申請をしたりしていたら、もう10月の後半に入っていました。
穗原 実質そこからスタートっていう状態だったんですね。
脇山 解析の準備と並行して、データベースを自分で調べたり、研究室の先生に協力していただいたりしつつ、解析にかけるデータの収集をしていました。11月にスパコンの使用許可が下りたので、そこからスパコンを使った解析方法を習得して、やっと解析が始められたのは12月です。
脇山 でも、40個体分のゲノムを解析するとなると、スパコンでやってもなかなか追い付かないんですよ。データ量も15TBになりました。ピーク時には、1日16時間くらい、寝るとき以外はパソコンを操作していましたね。卒論の軸が決まったのは年が明けてからで、2月の発表会ギリギリまで、研究を続けていました。
高木 データ量と作業時間が凄まじい…。
脇山 家のパソコンから研究所のスパコンに接続する形で解析できたので、それは救いでしたね。家での作業が多かったけど、時々研究室に行って、先輩にアドバイスをいただいたり、博士課程の進学について聞いたりしていました。
――長原さんはどのように進めたのですか。
長原 3年生からシミュレーションを始めてはいましたが、4年生に入ると新型コロナの影響で帰省していたこともあって、結局6月までほとんど手つかずの状態でしたね。その後すぐに大学院入試があったし。
シミュレーションもコンピューターのスペックに左右されるところがあって、新しくマシンを入れたにもかかわらず、1回の計算に1、2週間ほどかかってしまって、あまり進まなかったんですよね。シミュレーション中は新しいこともほとんどできないし、時間だけが過ぎていく状態で、周りが成果を上げているのを聞くとメンタル的にもキツかったです。
脇山 時間がただ過ぎていくという焦りはすごくありますよね。どうやって乗り越えたんですか?
長原 先生が、「時間があるなら論文を読めばいい」とアドバイスしてくれたんです。だから最先端の研究に関する論文を探しては、ひたすら読み込んでいました。先生に相手になっていただいて、読んだ論文をまとめて発表する機会を作ったりしましたね。そのおかげで、年末のまとめる段階で文献探しをする必要がなくなり助かりました。
――1本の論文を書き上げるのに、それぞれドラマがあるんですね。では、みなさんの論文の「ここを見て!」というポイントを教えてください。
穗原 やっぱり全編ロシア語で書いたことかな。課題はたくさん残っているけど、60ページ相当を外国語で書き上げたのは自信につながりました。
高木 論文の最後、結びの言葉のところは思いが入りましたね。川崎港から全体を俯瞰して、世界や日本の港湾に対する課題提起ができたと思っています。
それから年代ごとに地図を作成し、コンテナ港湾がつくられた軌跡が見てわかるようになっているところ。あとは図表を大量につくり直したり、港湾に詳しくない人でも読んで理解してできるように用語を噛み砕いて説明したりと、表には見えないところでの格闘も詰まった論文になっています。
長原 シミュレーションやプログラミングの環境設定は任せて!と言いたいですね。コンピューターを使った研究では、この辺は意外と盲点になるというか。でも今回の研究を通じて、エラーやトラブルはひと通り出尽くしたかなと。どんな状況になっても対処できる自信があります(笑)。
誰かから一方的に教わるだけでなく、自分で調べたり、得意な人の力を借りたりしながら問題を解決するというのは、研究を通じてだいぶ力がついたかもしれません。
脇山 期間が短く制約がある中で、何とか切り抜けたという点ではいい経験になりました。発表の2週間前の時点でまだ解析作業を続けていて、うまく結果が出るかどうかわからない……というギリギリの状態で精神的にも追い込まれましたが、やり遂げたことは自信になっています。
それぞれ追い込まれるタイミングがありながらも、卒論をまとめ上げたときの達成感は他には代えがたいものがあったようです。次回は最終回。“東大ならでは”の卒論の魅力を深掘りします。(第3回 東大だからここまでできた 卒論・卒研に没頭できる理由 はこちら)