東大生が語る!私にとっての卒論“論”―「キミに伝えたい」卒業論文・卒業研究(1)

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「キミに伝えたい」卒業論文・卒業研究

大学卒業の最終関門とされる卒業論文や卒業研究(以下卒論・卒研)。東大でも一部の学科を除き、多くの学生が4年生になると卒論の執筆に挑みます。東大で学ぶうえで、卒論とはどのような位置づけにあるのでしょう。そこでこの春無事に大学を卒業した東大生4人が集まり、卒論座談会を開催。卒論にまつわるエピソードを語ってもらいました。
第1回は研究内容とテーマについて、またそれぞれの卒論の位置づけについて盛り上がりました。

PROFILE

穗原 充さん(教養学部教養学科地域文化研究分科 ロシア・東欧研究コース卒業)
卒論テーマは『モスクワ市営地下鉄の役割の変化―スターリン期とフルシチョフ期』。春からは大学院に進学。
高木 美咲さん(教養学部 学際科学科 地理・空間コース卒業)
卒論テーマは『川崎港における外貿コンテナ機能の変遷と港湾間連携』。春からは民間企業に就職。
長原 颯大さん(工学部マテリアル工学科卒業)
卒論テーマは『ゲルにおける負のエネルギー弾性:分子動力学計算による起源の解明』。春からは大学院に進学。
脇山 由基さん(理学部生物学科卒業)
卒研テーマは『縄文人のゲノム解析』。春からは大学院に進学。

  

自分ならではの切り口で、誰もやっていない研究にチャレンジ

――卒論・卒研、本当にお疲れさまでした。まずはどのようなテーマで卒論・卒研に取り組んだのかを教えてください。

穗原 私は戦前期から戦後期にかけての、モスクワ市営地下鉄の政治的な位置づけの変化をテーマにしました。入学して第二外国語でロシア語に出会って、後期課程でもロシアを究めるコースを専攻しました。地理が好きだったので、せっかくなら日本ではあまり取り組まれてこなかったモスクワの都市景観の研究を、地下鉄を事例にやってみようと思ったんですよね。


(左上から時計回りで)長原さん、脇山さん、穗原さん、高木さん

高木 穗原さんとは4年の授業で一緒になったことがあって、このときもロシアのことを話していたのが印象的でした。でも、どうしてそんなにロシアに興味を持つようになったんですか?

穗原 ロシア語の授業で、先生が見せてくれたビデオが面白かったことがきっかけです。世の中を東側から見ると、西側の影響の強い日本の感覚とはずい分違うことに驚いて。決定的だったのは、2年生のとき。ロシアで1カ月ほど過ごして、そこから大ハマりしてしまいました。
高木さんの研究も地理に関連してますよね?

高木 私は、川崎港にある外貿コンテナ(外国貨物を運ぶためのコンテナのこと)について、機能の変遷とその背景を卒論で取り上げました。港や空港のような、物流や貿易に関係するような場所が小さい頃から大好きで、東大に入学する前から港湾に関する研究をするって決めていました。
ただ東大に入ると、一口に港湾と言っても、いざ研究となると土木や政策など、さまざまな切り口が考えられることがわかってきました。いろんな方向性を考える中で、地理と経済の観点から、港湾をいかに運用するかというソフト面の検討ができる今の研究室に出会って、ここで卒論を書こうと決めました。


高木さんが卒論で取り上げた川崎港。大量のコンテナが並び、川崎港の港湾としての役割の大きさがうかがえる

 

研究テーマの種は、1年生の時から蒔かれている

――脇山さんや長原さんはどのような研究に取り組みましたか。

脇山 私は、縄文人骨由来のゲノム情報を解析し、縄文人集団にどのような特徴があるかを調べました。
小さい頃から実験が好きで、大学でも何か研究したいなと漠然と思っていましたが、転機は大学1年のとき。尿路結石を患って、そのとき遺伝的要素が疾患リスクのひとつであることを知って、遺伝子解析に関心を持つようになりました。

穗原 尿路結石から縄文人の遺伝子の興味にどのようにつながったんですか?

脇山 ヒトゲノムには集団ごとにちょっとした違いがあります。つまり、病気のかかりやすさなどの特徴も集団ごとに違いがあるということです。私は日本人集団に興味があったので、現代日本人のゲノムだけを解析しようと考えていました。あるとき、どうやってサンプルを増やしてデータの信頼性を高めるかについて研究室の先生に相談したところ、大学院での研究も見据えて、縄文人ゲノムも使ってみたら、という話になって。解析しているうちに縄文人のサンプルの方が興味深い結果が出て、最終的にそれが研究テーマになりました(笑)。

長原 私は高分子材料(分子量の大きな物質によって構成される材料のこと。身近な例にプラスチックなどが挙げられる)のモデルがテーマです。コンピューターを使ったシミュレーションを行いました。


長原さんのシミュレーション結果の一部。複雑なプログラミングを行えば、
高分子がどのように結合しているかを視覚的に示すことができるそう

脇山 分子や原子がどのように結合しているかを、シミュレーションを使って検証するんですか?

長原 そうですね。私の研究室では、「高分子物理学の理論モデル」と「現実の高分子」の整合性を検証しています。サークルの先輩に紹介してもらって、1年生のときからこの研究室に進みたいと決めていました。
でも実験中心の研究室だったので、卒論研究でシミュレーションを扱ったのは私が初めてだと思います。シミュレーションを使って卒論を書けたのは、1、2年生の前期教養の間に、学内の生産技術研究所で実際に研究させてもらったことも大きいですね。

穗原 出会いって大事だよね。私も3年生でロシア・東欧研究コースに進んでから、学生共用の研究スペースに足を運んだことで、ロシア熱にさらに拍車がかかりました。そこには修士や博士の先輩もいて、何の言語かわからないような本を読み、白熱した議論を交わす姿を見て「うわー! 自分も輪の中に入りたい!」って思ってしまったんです。それで4年生になる頃に研究に興味があると先生に相談したら背中を押していただいて、それからは研究の道にどっぷりでしたね。


穗原さんの研究に関連する本。日本語はもちろん、ロシア語、英語で書かれたものも。
これらは読んだ本のごく一部なんだとか

長原 研究の種を見つけるのに、講義や実習や、先輩や先生の話がつながってきますよね。高校の頃も化学部で研究していたんですが、その時は先輩の研究を引き継いで研究を進めましたし、大学では授業やサークルで生命科学に興味をもって、生命と材料を組み合わせた今の研究をやっています。一つひとつの出会いが研究に結びつくという点では、どちらも共通しているかもしれませんね。
 

けっこう早い? 意外とギリギリ? テーマ決めのタイミング

――卒論のテーマはいつ頃決めたのですか

高木 経済地理の研究室に入ろうと決めたのは3年の9月です。その頃に応用地理分析という授業があって、そこで卒論に関連する調査をする人が多かったんですね。私もその授業で港のコンテナの動向を調べて、卒論では川崎港を研究したいと思うようになりました。正式には翌年の2月に開かれる先輩の卒論発表会のときに、テーマを発表しました。

穗原 私も、方向性を決めたのは3年のときですね。2月頃にロシアの都市計画をやりたいと先生に相談し、モスクワの地下鉄を取り上げることにしたのは4年の5月。さらにスターリン期とフルシチョフ期(※)に研究範囲を絞ったのが7月頃です。ちょうど卒論の中間発表会があった頃です。
※ スターリン、フルシチョフ共に、ソビエトの最高指導者。スターリン期は1924~53年、フルシチョフ期は1953~64年をさす。

長原 工学部では多くの人が4月頃にテーマを決めますが、その後大学院入試があるので、卒論に向けての方針を決めるのは試験が終わる8月以降になりますね。ただ、私はその前から研究は進めていて、シミュレーションも3年から始めていましたね。
理学部も、テーマ決めはやっぱり夏を過ぎるんですか?

脇山 卒研がスタートするのは9月からですね。テーマは先生と相談して決めますが、私の場合は2つ候補があって、9月から同時並行で研究を進めていきました。


脇山さんが影響を受けた本。準備は春から始まっていて、この本も4年生の4月頃に読んだそう

 

学部・学科間でこんなに違う! 卒論に対する位置づけ

――卒論・卒研を終えたばかりの皆さんですが、卒論・卒研に取り組んだことにはどういう意義があったと思いますか?

穗原 卒論は、大学での学びの集大成だったと思います。今振り返ってみると、特に、3、4年生の後期教養でやってきた学びの一つひとつが、卒論と何かしらの形で関係していたと思います。
あと、卒論の場合は書き手の主張が問われるので、それを書ききる力がついたかなと思います。先生とのやり取りや発表でも、常に論拠や研究の意義を求められるので。「提出したらおしまい」の、レポート課題との違いを感じるところです。

高木 私も穗原さんと同じで、学んだことの集大成。後期教養ではフィールドワークが多くて、毎回レポートの提出が求められたのですが、卒論は、そのときに学んだ手法を使ってまとめていきました。ただ、いつものレポートと違って、根気を試されましたね。30年分のデータ入力が必要となったときはさすがに心が折れそうになったけど、半年、1年かけて完成させました。この春から念願だった港湾の仕事に就く予定で、卒論を通じて仕事に生かせる知見を学べました。


画面越しに、卒論のために制作した地図を見せてくれた高木さん。
全国の港湾のデータを集めて入力し、地図上にプロットした渾身の力作

長原 私は、研究室では「卒論はそれほど大きな関門ではない」と考えられていることを知ったのがショッキングでした。提出2か月前の12月末に、さすがに準備しなきゃヤバいと先生に相談したら、「そんなに張り切らなくても、卒論は通過点だから大丈夫だよ」と言われて拍子抜けしました(苦笑)。理系の場合、あくまでも大学院で取り組む修士論文を見据えて研究を進めることが求められているのだと知りましたね。でも私の卒論は結局70ページ超えの大作となり、おかげさまで首席をいただきました。

全員 すごい!

脇山 理学部でも、修士論文を見据えて4年生の1年間を過ごすことが求められていると感じます。特に生物学科は仕組みが変わっていて、4年生の1年間で最大3つの研究室を回ります。私の場合、最初の2か月は大学院で進む研究室を下見し、次の2か月で新しい研究をして、9月末からは別の研究室で卒論に挑むという感じでした。でした。科学的な考え方はもちろんのこと、ゲノム解析の手順やツールの使い方、プログラミングなど、大学院に進んでからの研究の手順に慣れていくというのが、卒業研究の位置づけに近いのかもしれません。

学部によって卒論に対する考えや位置づけが、まったく異なる展開に…!次回はさらに踏み込んで、卒論・卒研と共に過ごす大学4年生の暮らしに迫ります。(第2回 これぞ東大4年生のリアル!“卒論イヤー”の過ごし方 はこちら

インタビュー・構成/「キミの東大」企画・編集チーム