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人間にとって根本的な営みである教育を、冷静に、客観的に考える―教育学部・中村高康教授

2018.10.22

研究室探訪

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PROFILE

中村 高康 (なかむら たかやす)
東京大学大学院教育学研究科 比較教育社会学コース 教授

1967年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。東京大学助手、群馬大学講師、大阪大学助教授を経て、現在、東京大学大学院教育学研究科教授。第2回社会調査協会賞(優秀研究活動賞)受賞。主な著書に、『大衆化とメリトクラシー』(東京大学出版会)、『暴走する能力主義』(ちくま新書)、共著に『進路選択の過程と構造』(ミネルヴァ書房)、『学歴・競争・人生』(日本図書センター)などがある。

「個々が集団になったときのもやもや」を対象とした学問、社会学

佐藤(学生ライター/農学部) 中村先生、おはようございます。本日は先生のご研究について教えていただきたくて参りました。よろしくお願いします。では早速、「教育社会学」とはどのような学問なのか、その点からうかがいたいのですが。

中村高康(東京大学大学院教育学研究科・教育学部 教授) はい、よろしくお願いします。まず教育社会学が扱っている教育テーマから説明すると、単純に授業や勉強のことだけでなく、学校で起こる不登校やいじめといった諸問題、家庭教育、社会に出てからの教育なんかも扱います。教育に関わるさまざまな現象について、社会学の視点から明らかにしよう、という学問です。

佐藤 「社会学」って、少しイメージしにくいんですが…。

中村 イメージしにくいですよね。実は「社会学の定義は社会学者の数だけある」と言われているので、当然のことだと思います。あえて言うなら、「個々が集団になったときのもやもや」を対象としている学問、でしょうか。

佐藤 もやもや、ですか?

中村 集団を個人に分解していくと見られなくなるような余剰部分といえば伝わりますかね。例えば、社会には階層構造があります。親の職業といったものが、子どもの将来を水路づけていく。これは個人の次元を超えた社会の現象ともいえますよね。個人の努力とは別の、社会的な何かがある。これも教育社会学の大きなテーマの一つです。

佐藤 社会の階層構造のお話を聞くと、動物園のサル山を思い出しました。

中村 サル山(笑)。たしかにサルにも社会性があるんだから、社会学の対象になっても良いと思っているんですけどね、僕は(笑)。ただ、サル山の話が出たので、サル山と人間世界との比較、という視点でもう少し話せば、サル山は基本的に実力主義のようにいわれますよね。ボス猿の子どもがボスになるわけではない。

でも、人間世界は違う。伝統文化の世界にみられる世襲制などを思い出してもらえばいいかもしれない。なぜ、人間の世界がサル山と違うのか。その一つの答えは、人間の場合、情報や知識の意味が圧倒的に大きいからではないかと。個人で生み出せるレベルの技術や知識では到底足りず、だからこそ先祖代々引き継がれているものが大事になってくるのではないか。そのように考えることもできますよね。

波のように、不安に駆られ変化する教育

佐藤 先生のご著書(『暴走する能力主義──教育と現代社会の病理』ちくま新書 2018年)について、質問させてください。先生はご著書の中で、人間の能力の定義は難しく、能力の高さを測ることは不可能に近い。だからこそ、社会は正しく能力を育てていられるかどうか、絶えず不安に駆られて、教育指針を変えていく、とおっしゃっていたと思います。

中村 そうですね。方向が分からなくても進まなければいけず、絶えずあちらこちらを見ながら進んでいる、という感じです。

佐藤 これはゆとり教育を検証して…ということでしょうか。

中村 もっとそのずっと前からだといえます。大正自由教育という、今でいえばゆとり教育路線に近いものがもてはやされた時代もありました。ところが戦前は詰込み型教育へとシフトし、戦後はそれを反省して体験重視教育になって、そうすると学力がつかないのではということになり、また詰込み教育。そして、やっとゆとり教育です。

佐藤 本当に波のようなんですね。なんだか、sin(サイン)、cos(コサイン)のグラフを思い出しました。

中村 僕たち教育社会学者は、そうした歴史の相対化という作業も行っています。だからこそ、今回の新指導要領も時代の波の一つだということがわかるわけです。その視点から現状を読み解き、必要だと思う議論を提示しています。

佐藤 なるほど、たしかに先生のご著書は、そのような切り口でいまの教育改革を分析していらっしゃいますよね。英語入試改革とか、あまりにも大規模な改革は、私も驚きながらみているところがあります。

中村 もちろん、現在の改革が試みようとしていること、それが効果を持つ場合や場面というのはあります。でも、それはある特定の場合や場面であって、全体的なものではないはずです。社会というのは、教育環境や家庭環境が違う人たちの集まりです。自分の経験をベースに「これは良かった」と思えることを行ったとしても、それが社会全般にとっていいとは限らないんです。教育の見方をゆがめる一番の原因は体験的教育論だともいえます。人間にとって最も根本的な営みである教育を、冷静に、そして客観的に考えるために、教育社会学は必要な学問であると主張したいです。

佐藤 今更かもしれませんが、教育社会学というものが理解できた気がします。

中村 それは良かったです。僕自身、高校生の時に、教育は人間を形作る根幹、人間社会を理解する根幹なのじゃないかな、と思い、教育を、そして教育社会学を選びました。もし、人間に関心がある、批判的に捉えることをやってみたいというのであれば、教育社会学という学問に向いているといえるかもしれません。でも、あまり若いうちから進む方向を決めなくてもいいんじゃないかな。色々なことに興味をもって体験して、柔軟な心をもって大学に来てほしいと思います。そして、その過程で教育社会学って面白いな、と思った方には、ぜひ来てほしいと思います。

佐藤 それこそが東大のリベラルアーツの考え方ですね。ありがとうございました。
 

インタビュー・構成/学生ライター・佐藤咲良