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社会の構造的問題に、心のケアを通じて向き合う―教育学部・高橋美保教授

2019.05.21

研究室探訪

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高橋美保先生

PROFILE

高橋 美保(たかはし みほ)
東京大学大学院教育学研究科 臨床心理学コース 教授

1991年奈良女子大学文学部社会学科卒業。民間企業勤務を経て、1999年慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。臨床心理士として病院、企業、大学などに勤務。2008年東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース博士課程を修了し、2009年東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース専任講師に着任、2011年より准教授、2017年より教授。臨床心理士。失業者や働く人への心理的援助、ライフキャリア支援などを中心に、研究、臨床、教育に従事。

不況の時期に働いて気づいた、心のケアの重要性

佐藤咲良(学生ライター/農学部) 本日はよろしくお願いします。

高橋美保(東京大学教育学部教授) よろしくお願いします。

佐藤 まずは、臨床心理学について教えてください。他の心理学とは何が違うんでしょうか?

高橋 臨床心理学は、学問としては他の心理学に比べてまだ歴史が浅い学問です。ですが、悩んでいる人に対する心のケアという機能や役割は恐らく宗教など別の形でずっと昔からあって、とても歴史が長い分野だとも言えます。その機能をアカデミックに体系化をしているのが臨床心理学と言えるかもしれません。

佐藤 他の心理学よりも実社会への応用が多いということですか?

高橋 そうですね。心理職が知識やスキルを学ぶ実学でもあります。

佐藤 それはどうやって学ぶんですか?

高橋 東大では実証的な知見を重視しているので、学部では研究の基礎を学びます。大学院では研究をさらに発展させるとともに、心理職として援助をするための実践も学びます。臨床心理学の面白いところは、体系化した知識を臨床実践の中で個々人の事例にまた落として活用するところです。つまり、研究と臨床の両輪を回していくのが、プロフェッショナルの心理職だと思います。ちょうど、公認心理師が国家資格化されたので、その教育も担っています。

佐藤 先生も、大学で学んでから、心理職として経験を積まれたんですか?

高橋 私の場合は少し紆余曲折があって……。元々、人が悩むこととか生きることに関心がありましたが、いきなり人の心に触れるのは憚られたので、大学では社会学を専攻して、社会的事象という視点から考えたいと思いました。卒業後は民間企業に就職しましたが、そこであらためて、働くこと、すなわち生きるっていうことは大変なんだなあって実感しました。

佐藤 ちょうど、景気が悪かったころでしょうか?

高橋 そうですね。リストラがたくさんあって、個人は変わらないのに社会情勢の変化の中で個人の人生が変わってしまうことに理不尽なものを感じました。ただ、弱者救済という視点からというより、どんなに頑張っても思うように生きられないことが誰にでも起きうる時代なんだ、ということを、まず、強く思ったんです。そして、リストラされた人自身のその後の人生や、その人がどうやって立ち直っていけるのか、そこにすごく関心を持つようになりました。その実感を経て、臨床心理学の世界に入りました。

佐藤 少し意外です。そのリストラを見て、社会構造ではなく個々のケアに回ろうと考えたんですね。

高橋 もちろん、社会構造も重要ですが、リストラされた人たちを見ずに論じることに違和感があって。まずはケアをして、その知見を集めて体系化し、社会に還元したいと思いました。それは私が専門としているコミュニティ心理学に通じる発想です。

佐藤 まさに、臨床と研究の両輪ですね。

高橋美保先生
“meditation”(瞑想)に取り組む高橋先生

支援を必要とする人に「おせっかい」をする

高橋 その後、病院で心理職として働いてみて、そこで臨床心理学がもっと発展するためにはやはり研究が必要だし、社会で本当に役に立つ心理職をシステマティックに育てる必要があると思って、再び大学の博士課程にきました。

佐藤 なるほど。学生の私では失業というのはあまりリアリティがないというか…。

高橋 心理職もクライエントのすべての経験について、必ずしもリアリティがあるわけではありません。ちなみに、心理職って、女性率がとても高いんです。

佐藤 確かに、若い女性が多いイメージです。

高橋 若い女性が、リストラで落ち込んでいる中高年男性の気持ちがわかるかと言えば、限界があると思います。中高年男性から見ても、お前に何が分かるかと思うだろうし。だからと言って、自分に近い属性の女性とか子どもだけを相手にする、というのはプロフェッショナルじゃない。よく心理職は人の心がわかるとか、見透かしていると思われることもありますが、むしろ、人の心なんて簡単に分かりっこないということをよく理解している人だと思います。わかりっこないことは十分わかっていながら、想像力と創造力を駆使してその人の気持ちに寄り添って少しでも生きやすくなれるよう専門性を駆使するのです。

佐藤 たしかに、中高年以外、例えば終末医療の現場でも、本当にその患者さんの気持ちがわかる医療者なんていないですよね。逆に、私自身も、例えば小学生の時におじさんの先生に悩みを相談しようと思わなかったし……。

高橋 心理的に拒絶されるんですね。でも、支援が必要な人たちが絶対にいる。そういう人にこそ心理的援助が届けられるべきなのに、必要な人にはなかなか届かない。いい意味のおせっかいを役に立つ支援にするためのスキルやシステムを考えたいと思っています。今も失業者の心のケアを続けていますが、彼らの研究から着手したのは絶対的に何らかの援助が必要な状況にあるので、おせっかいをしやすいからかもしれません。

佐藤 おせっかいが明らかに必要ですよね。心理職を拒絶している人への心理的援助、という考え方は自分の経験からも納得しました。毎回、援助の相手が同じ立場なんてありえないですしね。

高橋 むしろ、同じ立場だと思っている方が危ないかもしれません。よく、自分が悩んだ経験があるから心理職になりたいという人がいますが、その気持ちだけでは相手に自分の経験を押し付けてしまう危険があります。臨床心理学を学ぶ意義は、自分の経験を客観的に捉えることにもあります。一方で、心理職は人として完璧である必要はなくて、むしろ悲しみや苦しみも体験してきちんと悩める人でないと、相手も相談したくないですよね。

佐藤 たしかに、聖人みたいな人に悩み相談はしにくいです。こうして聞くと、臨床心理学って難しいなあ、と思ってしまいます。

高橋美保先生
“meditation” には研究室の学生も有志で参加する。姿勢を正し、集中力を高める。

悩むべき時にしっかり悩み、自分で選択できる人生を

高橋 簡単ではないと思います。けれど、心理職として働くと、自分の悩みとか辛さを臨床や研究でも役立てるというか。一生活人として自分の心と真面目に向き合うことが無駄にはならないということが面白いな、と感じます。それに、悩んだり迷ったりは悪いことではないと思います。私は、悩まなくなるためではなくて、むしろ悩むべき時にしっかり悩めるようにと思って実践をしています。

佐藤 というと?

高橋 人は行き詰まると、選択肢がないと感じます。失業した、家族にも言えない、どうすればわからない、というような。失業じゃなくても、人生には時折、ライフキャリアを考える踊り場が訪れます。人生100年時代となれば、これからもそんなことが何度かあるでしょう。そのときに、ふっと目線を上げてもらう。たとえ望んだ道でなくても、まだ歩ける道はあるかもしれない、どこをどう歩むか、あるいはしばらく止まってみるかを決めるのは自分だということに気付くための時間や場所が必要だと思います。

佐藤 選択肢がないと迷いようがないですもんね。

高橋 だから、自分も相手も、皆さんのような学生さんにも、悩むべきところできちんと悩んで、たとえ思い描いた通りの道でなくても自分で選択する感覚を持って歩んでほしいと思います。

佐藤 元気づけられたような気がします。ありがとうございました。

高橋 ありがとうございます。
 

取材/2018年12月
取材・構成/学生ライター・佐藤咲良