東大生が高校、大学で読んだ本(7)―『ハーモニー』『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』
この本、読んでみて! 2022.09.26
2022.06.15
東大生によるオススメ本の紹介
東大生は一体どのような本を読むのでしょうか。今回は、読書好きの東大生に高校や大学で読んだ本のなかから、オススメの2冊を紹介してもらいます。東大生の視点で選んだ本を通して、新しい知識や価値観に出会えますように。
小学校では漢字ドリルや計算ドリル、中学校ではワークや授業の予習…「宿題」って重要かもしれないけれど、ちょっと厄介だな、とずっと思っていました。なかでも小学校高学年から始まった、何の教科でもよいからとにかく毎日ノート1ページ分勉強しなさいというタスク、その名も「家庭学習」には大苦戦。問題集をただ解いていくというのも退屈、かといって毎日おもしろそうなネタを考えるのも大変、といやでいやでしかたがありませんでした。
毎日続けて取り組める、もっと楽しめるものはないかということで、中学1年生のときに始めてみたのが、洋楽の歌詞の和訳です。英語の勉強は嫌いではなかったので、当時よく聞いていたTaylor SwiftやShawn Mendesのアルバムをひと月半くらいで翻訳し切る作業を繰り返していたら、いつの間にか翻訳という作業が好きになっていました。
簡単な英会話も覚えたての私が向き合ったのは、知らない単語だらけで比喩だらけの英語の歌詞。辞書と首っ引きになって和訳し、できるだけこなれた表現にしようとしたところで、大したものが完成するわけもなく、今思えば自己満足でしかなかったのかもしれません。それでも、私が翻訳家という職業に憧れを持ちはじめたのは、このころでした。
『翻訳のさじかげん』
2009年
ポプラ社
中学3年のころから、とある絵本翻訳コンクールに毎年応募するようになりました。はじめは、英文のざっくりした和訳を、少し丁寧に推敲した程度の質で応募していましたが、外国語科に在籍した高校時代には、日本語と英語のニュアンスを比べ、ことばの端々にまで気を遣いながら訳すようになりました。そうなってくると気になるのが、プロの方の翻訳への向き合い方。図書館に行き、手に取ったのが『翻訳のさじかげん』でした。
著者の金原瑞人さんは、それはもうたくさんの本を訳してこられた、文芸翻訳界の有名人。私が高校に入学するほんの数ヶ月前に、当時はまだ私の “第一志望校” だった高校に講演にいらしていたり、私が応募を始める前には例の絵本翻訳コンクールの審査員をなさっていたりと、何だか不思議なご縁のある方です。
タイトルから「翻訳の教科書のような本なのかな」と予想してページをめくると、目次には「サンドイッチと鉄火巻き」「シンデレラの靴」など、予想していた堅苦しさなど微塵も感じさせない、興味深い見出しが並んでいました。見返しに貼り付けてある帯を見ると、この本はエッセイ集だとのこと。納得です。
エッセイの内容は、語源やことばの移り変わりにかかわるものが多く、たとえば「シンデレラの靴」によると、ガラスの靴で知られるシンデレラは、もともと皮の靴を履いていたのではないかというのです。フランス語の「vair(銀ねずみ色の毛皮)」と「verre(ガラス)」の発音は同じだから、どこかで変わってしまったか、もしくは意図的に変えられたのではないか? でもシンデレラは中国由来の物語とも言われているから、フランス語の取り違えなんて…といった具合に、読み手の雑学の引き出しも増やしながら、いろいろなことばについて考えさせてくれる本でした。この本の大半を占めることばの由来の話がとてもおもしろく感じられて、私って文学より言語学のほうが向いているのでは?と思ったほどです。
『翻訳エクササイズ』
2021年
研究社
月日は流れ、私は大学生に。
翻訳にはやはりずっと興味を持っていて、箸にも棒にもかからないながらも、翻訳コンクールへの応募は毎年続けています。後期課程の授業も正式に受けられるようになった大学2年生の秋学期からは、翻訳をテーマにした授業も受講しました。
授業で学んだのは、翻訳するときは、意味さえ通ればそれでよいわけではないということ。作品のテーマを読み解き、それに合う語彙を選びながら訳すことも大切ですし、馴染みのない文化についての記述は、意味を補いながら訳さなければ伝わりません。原文と世に出ている訳文を突き合わせて見てみると、いろいろな工夫が見えてきました。
今年もそろそろ絵本翻訳コンクールの時期かなと思っていたとき、インターネットで『翻訳エクササイズ』を見かけました。著者は『翻訳のさじかげん』と同じ、金原瑞人さん。この本は翻訳の入門書で、最後に短編を訳すコーナーもあるとのことです。
目次にさっと目を通すと、「終助詞の話」「固有名詞という落とし穴」「ひっくり返さない」など、翻訳を少しかじった身としては、いつもどうしようかと悩んでいた話ばかりです。たとえば「終助詞の話」に書かれていたのは、日本語では、一人称や終助詞の選び方によって、話し手の年齢や性別、性格までもがある程度規定されてしまうということ。だからこそ、その選び方には気をつけなくてはならず、シリーズものを訳すときには一貫性のある使い方が必要なのだといいます。しかも一人称や終助詞のニュアンスは、時代とともに移り変わっているのだそうです。
わかりやすい例が、「ね」。昔は、女性がよく使っていたのですが、最近の女性はあまり使わなくなった、その代わり、男性がよく使うようになった、じゃあ、いま訳している本はどうすればいいのだ、ということです。(58-59ページ)
これには、読みながら頭を抱えてしまいました。「ことばは生きもの」とよく言いますし、これが絶対正解だ、という訳し方はありません。翻訳の巧拙は、外国語の本が日本の読者たちに受け入れてもらえるかどうかに影響します。だからこそ、誰よりもことばに対して敏感になり、ことばに対する感性を日々磨き続けていくことが大事なのだと実感しました。
2冊の本は、ことばの難しさとおもしろさを改めて感じさせてくれました。これからもいろいろなことばに出会い、たくさん悩みながら、しっくりくる訳語を探していきたいです。
紹介者のPROFILE
萩野聡子 さん
文学部 現代文芸論専修課程3年
マイナー言語の作品をより多くの人に届ける仕事に興味を持っている。
美術館で美しい作品を見てから、イスラエルの絵本に興味あり。ヘブライ語はすぐにはできるようにならないので、しばらくは英語の翻訳を学ぶ予定。