東大生が高校、大学で読んだ本(7)―『ハーモニー』『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』

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東大生によるオススメ本の紹介

東大生は一体どのような本を読むのでしょうか。今回は、読書好きの東大生に高校や大学で読んだ本のなかから、オススメの2冊を紹介してもらいます。東大生の視点で選んだ本を通して、新しい知識や価値観に出会えますように。

文芸書から広がる世界

 進路に影響を与えた本というと、実用書や専門書を思い浮かべる方が多いかもしれないが、小説やエッセイからもヒントを得ることがある。ここでは私の大学生活の指針となった2冊の本について紹介したい。

SF小説から研究テーマを夢想する

 奨学金などの申請書を書く際に、高い確率で「研究の着想に至った経緯」を求められる。先行研究を引用し、その穴を指摘する形で理論を構成することが定石となっているが、実際のきっかけはもっと単純なこともある。ここでは私の研究のきっかけとなったSF小説を紹介したい。
 

高校で読んだ本
『ハーモニー』

『ハーモニー』

伊藤計劃著

2008年

早川書房

 本作は〈大災禍〉と呼ばれる世界規模の大紛争を経て、生命が過度に重視されるようになった世界を描いている。〈大災禍〉によって人口が激減したため、残された人々は「社会リソース」として、肉体的にも精神的にも常に健康であることを義務づけられた。そして、互いに慈しみ思いやり、自分だけでなく他者の健康にまで気を配ることが美徳とされた。生存するのに最適化された理想の社会のように思われる一方、健康の維持のためなら個人の意思はどこまでも軽視されてしまうのである。その一例がコーヒー批判である。ある研究者はコーヒーが仕事の効率向上に役立つこともあると主張したが、それに対し世間はカフェインが健康に及ぼす悪影響をあげつらい糾弾したのである。

 私たちであれば、時どきのコーヒーが体に与える影響などたかが知れているうえ、人様に迷惑を掛けない限りは個人の自由として尊重されるべきだと考えるだろう。しかし生命至上主義を謳う世界では、社会リソースを損なう恥ずべき行為だと認定されてしまうのだ。

 このような行き過ぎた生命至上主義は、やがて紛争の根絶を求めるようになる。度重なる研究の結果、人間の脳に干渉し「常に合理的・協調的・平和的な判断を下させる」プログラムの開発に成功する。つまり人類の思考を完全に同化・同調させることで、争いを失くそうというのだ。しかしその代償として、ヒトの個人としての「意識」は消滅してしまう。

 私たちは人間の「意識」を神聖視する傾向にあり、「意識の消失」など到底受け入れられないと感じてしまう。しかし、本作ではそれを古典的な考え方だと一刀両断する。本文中に印象的なセリフがある。

私は逆のことを思うんです。精神は、肉体を生き延びさせるための単なる機能であり、手段に過ぎないのかも、って。肉体の側がより生存に適した精神を求めて、とっかえひっかえ交換できるような世界がくれば、逆に精神、こころのほうがデッドメディア になるってことにはなりませんか。(p.173)

 
 この本を読んで、人間の「意識」、あるいは「こころ」の起源に興味が湧いた。意外に思われるかもしれないが、人間の「意識」が進化のどの段階で生じたものなのかは未だに分かっていない。現在私はヒトの脳進化について研究している。ヒト固有の脳機能の神経基盤を解き明かすことにより、進化過程で「意識」が果たしてきた役割に迫りたいと考えている。
 

イギリス留学経験から学んだ「対話型の授業」の活かし方

 近年「主体的な学び」が重視され、大学でも学生の発言が求められる対話型の授業が増加している。しかし、これまで座学・講義型の授業に慣れ切った身としては、対話型の授業はいかにもまどろっこしく思えて、その意義が見出せなかった。そう思っていた矢先に出会ったのが、本書『遥かなるケンブリッジ』である。
 

大学で読んだ本
『遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス』

『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』

藤原正彦著

1994年

新潮文庫

 作者の藤原正彦は東京大学理学部出身の数学者である。卒業後はポスドクとしてアメリカに留学しており、その奮闘の日々は『若き数学者のアメリカ』に綴られている(こちらも面白いのでオススメ)。『遥かなるケンブリッジ』は、文部省の長期在外研究者としてケンブリッジ大学を訪れた藤原先生の英国滞在記である。

 ケンブリッジ大学と言えば、オックスフォード大学と並んで世界を牽引するイギリス屈指の名門大学であるが、その教育制度はどのようになっているのだろうか。藤原先生によると、ケンブリッジ大学の教育のかなめは「スーパーヴィジョン」と呼ばれる個別指導制度だという。スーパーヴィジョンでは、現役の研究者をフェロー(教官)として、専攻テーマについて少人数で議論し、より深く学ぶ機会を与えている。日本同様の座学形式の授業も設けられてはいるが、そちらに参加義務はなく、学生の学習はこのスーパーヴィジョンを主軸に進められることとなる。

 この本がきっかけとなり、夏季休暇を利用してケンブリッジ大学のサマースクールに参加した。予想していた通り、対話中心の授業と重いレポート課題で悪戦苦闘することになったが、細やかな指導のおかげで発表やレポート作成のコツがわかってきた。同時に、これまで対話形式の授業を十分に活かせなかった理由にも気づいた。

 事前準備なしに参加できる座学・講義形式の授業とは異なり、対話形式の授業は基本的に受講者それぞれが授業内容について議論できる程度の知識を有しているという前提で進められる。つまり、受講生は事前に講義内容についてある程度予習することが求められているのだ。このステップを怠ってしまうと、授業での議論は深まらず、散漫とした授業になってしまう。対話形式の授業は、教師だけでなく受講者にとっても負担の大きい授業形式ではあるが、しっかり準備して挑むことでより多くの学びがあるのではないだろうか。

 また、本書には異国での生活の様々なエピソードが盛り込まれている。学校でいじめに遭ってしまった藤原先生の次男の話、外国に行くと途端に愛国心が沸き上がる話、アメリカ人の同僚と繰り広げるやや過激なイギリス批評…

 時々に挟まれる日本とイギリスの風習の違いにも思わずくすりとさせられる。例えば、自宅の建て替えを検討しているという筆者の話が、古いものにこそ価値があると考えるイギリス人を驚愕させたエピソードなどは何度読んでも笑ってしまう。純粋にエッセイとしても大変面白いので、ぜひ読んでみてほしい。
 

紹介者のPROFILE

石渡麗依那 さん
理学系研究科 生物科学専攻修士1年

ヒト固有の脳機能に興味を持っており、ヒトの脳進化について研究している。いつかヒト固有の脳機能の根源を明らかにしたいと考えている。

文/学生ライター・石渡麗依那
企画・構成/「キミの東大」企画・編集チーム