東大生が高校、大学で読んだ本(7)―『ハーモニー』『遥かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス』
この本、読んでみて! 2022.09.26
2022.03.28
東大生によるオススメ本の紹介
東大生は一体どのような本を読むのでしょうか。今回は、読書好きの東大生に高校や大学で読んだ本のなかから、オススメの2冊を紹介してもらいます。東大生の視点で選んだ本を通して、新しい知識や価値観に出会えますように。
『大地』
1953年
新潮社
高校時代に読んだ本からパール・バック著『大地』を紹介します。
本書は中国の大地で生きる一農民が自分の人生を黙々と切り開き、成り上がっていく姿を描いた歴史物語です。この本を手に取ったのは本書の原文が受験英語の中に登場したからというだけの理由でしたが、主人公たちの力強さと鍬に滲んだ土埃や汗まで伝わってくるような生々しくも生き生きとした文章に引き込まれ、夢中で読み進めました。
特に印象的だったのは、貧農の主人公・王龍の妻・阿蘭が初めて子どもを出産する場面です。その日も黙々と畑仕事に精を出した阿蘭は、寝室に一人こもって誰の助けを借りるでもなく子を取り上げ、葦の茎の先端を鋭く切って拵えた手製のカッターでへその緒を切り、そしてまたいつもと同じように畑を耕し続ける、という彼女の寡黙なたくましさが描かれます。
私は現在法学部で中国政治を学んだり米中関係を扱うゼミに入ったりと、いつの間にか中国や東アジアの政治・社会を大学での学びの中心に据えるようになっていました。今考えると『大地』の描写に純粋に心を動かされた高校生の頃の自分は、すでに中国方面の社会や自分とかけ離れた生活に馴染んだ人々に対して興味を持っていたのかもしれないと感じます。
『わが青春の台湾 わが青春の香港』
2021年
中央公論新社
そこでもう一冊紹介するのは、邱永漢著『わが青春の台湾 わが青春の香港』です。私が本書を読んだのは東大の学事暦で3年生の夏休み、私が交換留学のために香港に渡航して間もないときでした。
大学3年の夏休みといえば、後期課程で自分のしたい勉強にいよいよ没頭したり、先んじて就職活動に手をつけ始める人たちのことが気になったり、駒場では一緒に授業を受けていた友達もいつの間にかそれぞれの道に進もうとしていることに気づかされる時期です。
留学は東大生の中ではそこまで一般的な選択肢ではなく、中には十分な学習環境の整った東大をわざわざ離れることに否定的な意見もあって、私自身それを何度も聞いてきました。しかし、私の留学の動機の一つは、誰もが進路を考えなければならないこの時期に、普段出会うことの難しい多様なバックグランドを持つ人たちと会いたいということでした。
この本は様々な土地に生きる様々な考えを持った人と出会い、人間関係を築くことの難しさ、面白さ、素晴らしさを伝えてくれ、「自分も留学を選んでみてよかった」、とそんな気持ちにさせられたのを覚えています。
著者は日本人の母と台湾人の父の間に生まれ、戸籍上は日本人(内地人)として出生したきょうだいを持ちつつも、植民地時代の制度的制約からたまたま自分は台湾人(本島人)として出生します。自伝形式の本書に綴られている著者の人生は、ここから想像できるように自力では動かしがたい有形無形のハードルを一つ一つ越えていくことと同じでした。
例えば戦時中は、帝大時代の東大生だった著者は一人前の国民とは見なされない「本島人」というラベルで判断され、憲兵にまで目をつけられるほどだったのだが、戦後は状況が一転、食料の特別配給や占領軍用の車両に乗ることを許されるなど、戦勝国民と同列の処遇をうけます。
何もやらなかった自分たちがそういう特権を享受することに対して、私は抵抗を感じた。(中略)特別配給を貰うために区役所に手続きに行かなかったし、電車に乗る時もぎゅうぎゅう詰めの車輛のほうに乗り込んだ。
そうはいっても、ろくな働きもなかった私たち留学生が、食糧不足の東京で何とか食いつなぐことができたのは、(中略)そうした特別配給を、それもうんと安い公定価格で受けて、外よりずっといい生活ができたからである。(74頁)
私にとって今回の香港留学もそして本書で描かれる物語も、いわば大学での学びの一部であり、延長線上にあります。アカデミックな学びには論理的・抽象的な思考も大切です。しかし生身の人間の感情を揺さぶるような日常の出来事にこそ歴史の動きは深く刻まれる、この本からはそんなメッセージが伝わってきます。
また、著者は終始そんなイベントフルな半生すら懐かしみ愛しむように語ります。むしろ一筋縄でいかないアイデンティティと向き合い続けたからこそ、どんなピンチも相対的に眺められたのではないか。工夫と努力でそれを乗り越えようとすることの大切さは結局どこにいてもあまり変わらない、著者の人生には人にそう思わせる説得力があります。そしてまた留学も多様な価値観を身につけるまたとない契機になると確信しました。
大学進学にしてもその先にしても、自分の進路を決めていくにはそれまで出会った様々な人やものの考え方を参考にするほかないし、それ以上のものを自力で一から考え出すことはなかなかできません。高校・大学時代に出会った本を振り返れば、その本を初めて読んだときは独立していた関心が実は自分が今いる場所までひとつに繋がっているように見えてきます。邱永漢の複雑な生い立ちが彼の人生を切り開く原動力になったように、たまたま出会った人、場所、本でも何か一つ自分の心に刺さるものがあれば大切にしていこうと思います。
2冊とも読み物として非常に面白い本なので、ぜひ気軽に読んでみてください。
紹介者のPROFILE
前田 珠実 さん
法学部3年
現在香港に交換留学中で主に香港政治・社会について学んでいます。香港は何よりカネが物を言う都市であると同時に、政治や文化に対する感度も非常に高いです。
現地の若者と交流する中で日本人の一移民としての振る舞いかたを日々考えさせられます。