東大生が高校、大学で読んだ本(1)―『思い出のマーニー』『キッチン』

#文学部の人 #文学部の人 #文科二類 #文科二類

東大生によるオススメ本の紹介

東大生は一体どのような本を読むのでしょうか。今回は、読書好きの東大生に高校や大学で読んだ本のなかから、オススメの2冊を紹介してもらいます。東大生の視点で選んだ本を通して、新しい知識や価値観に出会えますように。

小説と翻訳の世界

はじめに ―大学における作品分析―

 小説を読む際にはどんなことを考えるだろうか? 情景を想像したり、主人公の心情を推測してみたりすることもあれば、小説そのものに目を向けることもあるだろう。この記事では、そんな小説の翻訳にスポットライトをあてて、高校の読書が、どのような形で大学の学びへと繋がるのか、少し紹介してみたい。
 まず本題に入る前に、文学の研究において、どのような視点から文学作品を読み解こうとするか、簡単に紹介しておこう。1つの作品に対して、読者の数だけ解釈がある。私が大学で受講した講義に、フランツ・カフカの「変身」を読む授業があったが、そこで登場する毒虫について、嫌悪対象として扱う人から、人間の一側面の象徴とみなす人まで、意見は多様であった。そのような多様な見方を参考にしながら考えていくのが、作品分析の難しさでもあり、面白さでもある。
 作品全体の見方については、作家について考える視点、作品の構造や特徴について考える視点、解釈や普遍的な問いを考える視点、他の文学作品と比較する視点、などがある。これも全てではなく、以上のような視点を時に混ぜながら、作品を分析していくのである。
 

翻訳について考える ―違うことへの気づき―

高校で読んだ本
『思い出のマーニー』

『思い出のマーニー』

ジョーン・G・ロビンソン著

2014年

新潮社

 翻訳の話へと進もう。まずは私が高校時代に読んだ本『思い出のマーニー』を紹介する。スタジオジブリのアニメーション映画が有名な作品だが、原作はイギリスの児童文学作品である。周囲の人間と馴染めない主人公・アンナは、自然豊かなノーフォークでひと夏を過ごすことになる。ある日不思議な少女・マーニーと出会い、お互いを知る中で親交を深めていたが……というストーリーである。この作品が好きになった私は、高校2年生の夏に英語の本を読む課題を課されたことをきっかけに、英語版でも読むことにした。
 そこで得た感想は、英語版では日本語版とはまた違った印象を抱くのだ、ということであった。キャラクターの持つ雰囲気や、描かれる風景描写のイメージがぼんやりと異なる。日本語版よりも、自然に人物や環境のイメージが浮かんできたように思う。1つの小説であっても、英語版、日本語版、さらにいえば映画版、それぞれがそれぞれの世界を構築していた。この気づきは、後の大学での学びへ繋がることとなる。
 

大学で学んだ翻訳の世界 ―違うことへの説明―

大学で読んだ本
『キッチン』

『キッチン』

吉本ばなな著

1998年

KADOKAWA

 大学に入り履修したのが、翻訳の授業であった。日本語の作品を読み、そこからどのように英訳されているのかを考える授業である。そこで扱われた作品の1つが、吉本ばななの「キッチン」だった。
 祖母が死んだことで1人になってしまった主人公・みかげは、ひょんなことから雄一という人物の家に居候することになる。そこにはこんな表現があった。(引用は1988年度版より)

「奇跡がボタもちのように訪ねてきたその午後を、私はよくおぼえている」(11頁)

 この文をどのように翻訳すれば良いだろうか? 授業で扱われたMegan Backusの翻訳は以下のようになっている。

”It was then that a miracle, a godsend, came calling one afternoon. I remember it well.” (p.5)

 言い回しも面白いのだが、ここでは”miracle”と”godsend”という意味の似た単語が繰り返し使われている点に着目してみよう。あえて2度繰り返すことによって、出来事の重要性を強調しているのだと考えられる。
 このように、翻訳というのは単に日本語を英語に置き換える作業ではなく、解釈も含めた上で練り直していく作業なのである。そこでは大胆に原文の数行を削ったり、逆に詳しい説明を加えたりすることもある。つまり高校時代に感じた、同じ本でも英語版や日本語版によって「それぞれの世界」を持つという気づきは、このような翻訳による作品の変容に起因していたのだ。
 

小説を読むことの先に ―映画による受容も踏まえて―

 先に映画について触れたが、大学では、映画が小説をどのように受容しているかについても研究が行われている。もとの作品を映画や音楽に改作したり脚色したりすることをアダプテーションといい、その研究は「アダプテーション研究」などと呼ばれる。私自身、「思い出のマーニー」についてアダプテーションのレポートを書く機会があった。そこでは、英語版、日本語版、映画版、を対象として、それぞれにどのような差があるかを検討し、結論としてテーマが変容しているのではないか、と論じた。「キッチン」も映画化されており、授業ではオープニングの映像が「闇」の要素を際立たせていることなどについて指摘があった。
 なお、アダプテーション研究は小説をそのまま映像にするような映画化に限定されるものではない。ストーリーの上ではあまりシンクロせず、もととなる作品を、モチーフとしてのみ用いることもある。作家や監督がどのように原典となる過去の作品を扱い、新たな作品に組み込んでいくか、その方法は多様である。

 小説を読むという行為は、純粋な楽しみや教養のためであることが多いだろう。だが実はテクストを起点にして、その先には様々な営みが広がっており、大学ではその営みを研究している。解釈をめぐる議論、翻訳をめぐるあり方、アダプテーションのされ方など。大学に入学すれば、高校で出会った本を深く研究することもあるだろうし、高校で発見した気づきがなぜそうなっているかについて、知ることもあるだろう。つまり小説を読むことは、人生を豊かにする側面だけでなく、(特に大学における)学問につながる側面も多分に持っているのである。
 読書で得る経験や発見は、文学の道に進む人だけのものではない。どのような進路選択をしようとも、将来学ぶ様々な学問に関わって、日常の作品鑑賞を豊かにしてくれるだろう。こうしたことも考え、感じながら、広く作品に触れてみるのはいかがだろうか。
 

〈参考文献〉
フランツ・カフカ『変身・断食芸人』山下肇訳、岩波文庫、2004年。
森田芳光監督『キッチン』松竹、1989年。
米林宏昌監督『思い出のマーニー』スタジオジブリ、2014年。
Yoshimoto, Banana, Kitchen, trans. Backus, Megan (New York: Faber & Faber, 2018).
「近代文学特殊講義Ⅱ」第8回授業資料
「比較文学概論」第9回授業資料
吉本ばなな『キッチン』福武書店、1988年。
新潮社「書籍紹介:思い出のマーニー」〈https://www.shinchosha.co.jp/book/218551/〉(2021年12月30日閲覧)。
JapanKnowledge Lib 日本国語大辞典「アダプテーション」(2022年1月5日閲覧)。

*『思い出のマーニー』、『キッチン』とも、複数の出版社から刊行されています。

 

紹介者のPROFILE

岡田悠暉さん

岡田 悠暉 さん
文科二類2年(2022年度より、文学部人文学科現代文芸論専修課程3年)

作品に現れる人間のあり方に関心があり、現在は小説だけでなく、映像作品も含めて広く学習しています。
災後文学や人新世をテーマとした文学を研究してみたいと考えています。

文/学生ライター・岡田悠暉
企画・構成/「キミの東大」企画・編集チーム