「ていねいに自分自身と向き合う大切さ」―東大イマジナティヴ
第1回:前編 ショートショート作家 田丸雅智

#イマジナティ部 #イマジナティ部 #東大卒業生 #東大卒業生 #インタビュー #インタビュー #工学部の人 #工学部の人

 

東大イマジナティヴは「発想・発見・想像力に富んだモノの見方、考え方」と「自分発の世界観」を軸に社会で活躍されている先輩から、お話を伺う企画です。今感じている不確かな思いも、きっとすべてがなりたい自分につながっているはずです。
多種多様なスタイルをもつ先輩方の考え方をヒントに、新たな1歩を踏み出そう!

第1回は、ショートショート作家の田丸雅智さん。自分の好きなこと、やりたいことを実現するために、作家の道を選んだそうです。「短くて不思議な創作の世界」を次々に生み出す田丸さんの半生をご紹介し、どんなときも自分と向き合うスタンスについて、ノスタルジックで温かいエッセンスとともに、お話をお届けいたします。

田丸 雅智

TAMARU MASATOMO

1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。現代ショートショートの旗手として執筆活動に加え、坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務める。また、全国各地で創作講座を開催するなど幅広く活動している。ショートショートの書き方講座の内容は、2020年度から小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。2021年度からは中学1年生の国語教科書(教育出版)に小説作品が掲載。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。
田丸雅智 公式サイト:http://masatomotamaru.com/

ショートショートとの出会い

  • 小さい頃から読書や文章、物語を書くことは好きだったんですか。

ぼくは愛媛の松山で育ったんですけど、当時はまだまだ自然も残っていたので、よく田んぼで遊んだり、虫取りをしたりしていましたね。でも、読書も書くこともまったくといっていいほど苦手だったんです。松山は、俳句は宿題で出ますし、授業でもやるんですが、ぼく自身は書くことに関しては、とくに小学校の頃が一番苦手な時期でした。書かなきゃいけない、書かされているという感覚だったように思います。
今よりもとってもせっかちだったので、本もじっとして読めなかったですし、読んだつもりでいても、結局は飛ばし読みをしているので、筋なんて追えるわけもなく、『読んでもつまらない』というふうに感じてしまっていました。とくに長編の本を読むことがなかなかできず、忍耐強く長い文章を書くことも本当に得意ではなかったです。

  • 松山で育った環境は、ご自身にどのような影響を与えていると思いますか。

町にはいろんな句碑があったり、商店街には俳句コンテストの優秀作品が並んだり、コンパクトな町なんですけど、言葉があふれているんですよね。ぼくは松山東高校に通っていたのですが、先輩である正岡子規や秋山兄弟といった方々の存在に触れたり、夏目漱石の「坊ちゃん」も母校にゆかりがあったりして、あまり意識せずに文学的なことを吸収することができたのかもしれません。その中でも俳句は小さい頃からずっと身近にあったので、今の創作にも影響を受けている部分はたくさんあると思います。

司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」では秋山好古・真之兄弟、正岡子規が主人公となっている
  • 書くことや読むことが得意ではなかったのに、ショートショートを書いてみようと思ったきっかけは何かあったのですか。

今思うと、あれが創作の原点だったのかなと思うことはありますが、実際に書いてみようと思ったきっかけははっきりしたものはなかったと思います。
小学校高学年の時にショートショートと出会ったんですけど、長編が読めなかった自分でも、楽しんで読むことができたんです。そこから、何冊も読むようになって、高校2年の時になんとなくルーズリーフに短いお話を書いたのが最初の1作目でした。これがどういうきっかけで書いたかっていうとよく覚えていなくて、やっぱりショートショートのお話が好きだったからかもしれないなって思うんです。あと、自分で考えて何かを創り出すことが好きだったからかなとか。
最初は本当にたまたま書いて、それを友人になんとなく見せたら、面白いって言ってもらえて、そのことが「小説って自分で書いていいんだ」って、初めて気づけた瞬間でした。そのとき、パチっとすべてのスイッチが変わったような感じがして、「ときどき趣味で書いてみよう」って気持ちに切り替わったんです。当時は受験も控えていたので、熱心に書いていたわけじゃないんですけど、思い出したときに「書こう!」って少しずつ書き溜めて、高3までに10作くらい書いたような覚えがあります。

自分と向き合うチャンスを逃さない

  • 高校生の頃といえば創作とは別に進学が気になってくる時期ですが、東大を目指すまでにはどのような学生生活を過ごされていたのですか。

ぼくは地元の公立中学に通っていて、そこでは成績も良かったのですが、高校に入学して、最初のテストの順位が約440人中100番くらいだったんですよ。人によっては十分だろうと思われるかもしれませんが、個人的には思っていたよりも全然成績が振るわなかったので、すごく悔しかったのと将来のことがとても不安になって、自分を奮い立たせて人生で初めて勉強とちゃんと向き合いました。
少しだけ塾にも行ってみたんですけど、ぼくは肌に合わないので、学校の授業と宿題に加えて、自分で足りないところはどこか考え、自分に合った参考書を探し、それを解いて復習も徹底してやって、テストで得た結果をもとにまた足りない部分を考えて、今で言うPDCA(Plan₋Do-Check-Action)サイクルのようなことをやり続けました。

自己流のPDCAを回す日々は決して順風満帆ではなかった

そうして自分なりにがんばったつもりだったのに、次のテストでは150位に落ちたんですよ。もう本当にそれが人生における最初で最大の挫折でしたね。精神的にも無茶苦茶悩んで、数日間はショックで立ち直れないくらいでした。
でも、どう考えてもやっていたことが間違っているとか的外れだという感覚が自分にはなくて。それから1週間くらい悩んだ末に、でも結局はやるしかないので、ショックを引きずりながらも自分を信じて、同じ方法でずっとやり続けたんです。そうしたら、そこからどんどん成績が上がっていって。順位が上がり始めた頃に担任の先生から本当に軽い感じで「東大目指してみたら」って言われたんですよ。
そのときは、「えっ、まさか自分なんかが行けるわけがないでしょ。先生は何を言っているんだろう。」と本気で思ったのですが、同時に「ぼくも東大を目指していいんだ」という気持ちも不思議と芽生えていることに気がつきました。結局、そのときに自分には関係ないと思い込んでいたものを外してもらえたおかげで、東大を目指してみようと考えるようになりました。

  • 自分で考えた勉強法を変えることなく、ずっと継続してやりとげるのがすごいなって思うんですけど、その自分なりのスタイルを見つけるにはどのようにされたのでしょうか。

高校ではテニス部に所属していて、遅くまで練習をしていたので、毎日大体21時くらいから1時くらいまで勉強をしていました。中学生のときは23時頃までには寝ていて、それだとさすがに勉強する時間はなかったので、あるとき、翌日にちゃんとパフォーマンスが発揮できる状態で起きていられるのは何時までか30分刻みでちょっとずつ延ばしていってみたんです。すると、1時までは翌日になっても支障がなかったのに1時半になったら、ガクっと落ちたんですよね。だから、自分の体質的には1時が分岐点なんだなってわかって、その時間まで勉強する習慣が身についていきました。

ほかにも、ぼくは恥ずかしながら家で勉強するときは長く椅子に座っていられない性格で、問題を解いていても、15分に1回くらいは立ったりしてしまっていたのですが、一方でその短い時間では深く集中できていたので、自分はそういうタイプなんだなと考えて、とくにそこは直さなくてもいいのかなと感じていました。そのスタイルを見つけるためには、自分と対話して、自分自身と徹底的に向き合うことをすごく意識しました。

自分がどういう性格なのか。せっかちなんだと分かったら、「ではどうするか?」と模索していくんです。なので、自分と対話する時間はたくさん作りました。その中で、結局は自分次第であって、自分で考えて、自分で実行していくしかないんだということにも改めて気づくことができました。
ぼくの場合は、その自分で気づけるようなきっかけをいろんな人から与えてもらえたことも大きかったと思っています。

  • 受験生の中には、学業と部活の両立が難しいとか塾に通わないと東大に入れないんじゃないかって考えている人も多いと思うのですが、田丸さんはそれについて、どのようにお考えですか。

学業と部活と塾などのバランスをどうするかは、本当にそれぞれの適性だと思います。ぼくの場合は塾には通わずに勉強することを選びましたが、周りでは塾に通っていることだけで満足したり、参考書を買っただけで実際はやらなかったりというのをよく見聞きしていて、そのことにとても違和感を覚えていました。
もちろん塾自体には素晴らしいところがたくさんあると思いますし、積極的に活用するという意志を持って通うのには賛成です。その一方で、意志なく惰性で通うのならば、本当に行く必要があるのかなと疑問に思います。大事なのは、自分でしっかり考えるということ。そして、自分と向き合い、自分を知ることです。

塾に行くなら、自分がなぜ、どんな目的をもって通いたいのかを明確にする。学業と部活を両立したいと考えるなら、どうすれば両立できるかを考えて、自分の性格や体質に合った方法を試行錯誤しながら実行していく。それが大切だと思います。まずは、自分としっかり向き合ってみてほしいなと思います。

導いてくれた東京生活

  • 大学時代についてお伺いしたいと思いますが、憧れていた東大やまわりの友人から、影響されたことや一番強く感じたことは何かありますか。

ひとことで表すなら「幸せな環境」でしたね。
東大に入るような人は勉強だけが優秀な人が多いと思われている節があるようにも思うのですが、ぼくのまわりは勉強だけではなく、スポーツも大好きだったり、美術に詳しかったり、本当にいろんなタイプの友人がいたので、素晴らしい刺激をたくさん受けました。

地元では、特に中学ぐらいまでは、勉強ができるということをからかわれるような雰囲気があったので、なんとなく隠さないといけないというか。高校の時は少なくなりましたけど、順位が上がるにつれてどこか自分が周りから浮いているような感覚があって、なんだかさみしかったのを覚えています。でも、東大で知り合った友人は勉強の話も遠慮なくできましたし、むしろ、わからないところは教えてくれるので、それが新鮮で純粋にうれしかったです。
いらないブレーキは踏まなくていいし、アクセル全開でいったとしても、もうずいぶん先を走っている人もいるし、いろんな分野のすごい人たちに囲まれて学べる環境は本当にすごく幸せで、今でも東大で学べてよかったなと心の底から思います。

  • 初めての東京でのひとり暮らしはいかがでしたか?

ひとりでゆっくり考えたり、これまでの自分を振り返ったりする時間がすごく増えましたね。たくさんの情報にあふれて、刺激も多い環境で、今の創作にもつながる空想もよくしていました。
とくに上京してすぐの頃は、親への感謝をすごく感じたのと同時に、親から与えられてきたものはなんだろうとすごく考えていました。たとえば、肌がすごく荒れてしまって、家でバランスのいい食事を出してもらっていたことに改めて気づくことができたり、今、絵とか旅とかが好きなのも、小さい頃に親がいろんなところへ連れて行ってくれて、たくさんの景色を見せてくれたりしたおかげだったんだと気づいたり。そのとき、これからは自分で自分を育てていかないといけないんだなということを身に染みて感じました。これまでの思い出も大切ですけど、これからはその思い出を自分で積み上げていかないといけないんだなと強く心に思ったことは今でも覚えています。

一歩ずつ進む、その先に

  • 大学生活を送る中でたくさん学び、将来の選択肢も増えていったと思うのですが、研究の道ではなくて、ショートショートの世界に飛び込もうと決めたきっかけは何かあったんでしょうか?

お話を創作するのがとても楽しかったので、大学に入ってからも趣味としてショートショートを書き続けていたんです。なので、最初に就職を意識し始める大学3年の頃、この先も研究を続けていくかどうか考えたときに、ショートショートのことはずっと心の中にはあったんですけど、学ぶことが好きだったので、将来、研究の道は選ばないにしても、大学院への進学を決めたんです。でもやっぱり、どこかで違和感はずっとありました。

あるとき、何がこんなに引っかかっているんだろうと考えていく中で、もっと「自由」にやりたいんだということに気がついて。というのが、例えば、ものを投げたら重力に従うというのは、自然法則です。でも、ぼくはそうじゃなくて、投げたら、途中でフワッと浮き上がるみたいな「科学的には今のところありえない世界」の中で何かを生み出すことをしたいんだなと、気づいたんです。研究の中に身を置いたからこそ、気づけたんだろうなと今になっては思いますけど、そこにたどり着くまでは、結構ぐずぐず悩みましたね(笑)。

  • 在学中から先が見えない道を進むことになりましたが、作家デビューまでの道のりはスムーズだったのですか?

やっぱり、どうすればいいかわからない不安もありますし、創作の世界はいわゆる安定した道じゃないので、先が見えない怖さもありましたね。当然、周囲からもいろいろ言われるので、心は落ち着かないですよね。
しかも、ショートショートという分野だからというのもあるんですけど、登竜門がなかったんです。小さい賞はあったんですけど、入賞しても賞金が出て終わりで、次につながっていかなくて。
だから、どうしようってなるんですけど、さすがに周りの誰もがその答えを知らなかったので、自分で動くしかないんです。知り合いになった編集者にコンタクトを取ったり、人づてでちょっとでもいいご縁があったらお会いしたり、まずは作品を見てもらったり、話を聞いてもらったりとか、思いついたあらゆる方法で泥臭く動くしかなかったですね。
もちろん、その出会いの中でお世話になった人も数え切れないほどいらっしゃるんですけど、やっぱりいろんなことは言われましたよ。「ショートショートじゃダメだ」とか、「ショートショートだけをやっているうちは作家として半人前だよ」と露骨に言われたこともたくさんありますし、「きみの作品は面白いけど、ショートショートは売れないからね」と編集者の方に言われたことも何度もありました。

そのたびに心が折れそうになりながらも、なんで今があるかというと、結局、それを続けたからなんですよね。続けたからこそ、運が舞い込んだんです。ひたすら自分で考えたことを実行に移し続けるだけなので、本当に地道ですよ。地道に作品を書きつづけ、プロの作家としてやっていく道を探りつづける。その結果、ある作家さんに声をかけていただいて、なんとかデビューすることができました。

  • 2011年に作家デビューして、そこからは学業と執筆活動を両立されていたんですよね。デビュー後も地道に継続するというスタンスは変わらなかったのでしょうか?

デビューして、自分の本が出るまでは同じくらい地道な活動は続きましたけど、本を出すことが決まってからは本当にありがたいことにご縁の連鎖で、周りを含めてすべてが変わったような感じがしました。本当にいろいろな苦しみがありましたけど、途中で挫折することもなく続けてこられたのも、自分の中で続けていくときっと何かにつながるという確信があったからなんです。それを世間では勘違いとか若気の至りとか呼ぶのかもしれませんけど、ぼくの場合は続けたからこそ今があるんだと思っています。
学業との両立については、最低限、ちゃんと研究をしたいというのがぼくの中にあったので、基本的には毎朝9時頃に研究室に行って、その代わり夕方には帰って、そこから執筆活動をしていましたね。教授にも未だに笑われますけど、こうと決めたらやるっていう頑固なところがあるんですよ(笑)。
研究から得た知識や経験も今後どこかで活かされるんだろうなということを意識して取り組んでいたんですけど、まさに今、ぼくの専攻だった環境エネルギー系の雑誌でショートショートの連載をさせていただいているんです。不思議ですね。研究分野から離れたと思っていたのに、やっぱりつながってくるんだなぁと。

大切だと思う気持ち

  • デビュー前後のお話から2点、伺わせてください。日頃から人との出会いを大切にされているからこそ、ご縁がつながっていくんだなと感じたのですが、とくに心がけていることってあるんでしょうか。

親や祖父母から人を大切にしなさいと言われていたことが大きいのかなと、今となっては思います。当時のぼくは、そういう話になるたびに「また始まった」とずっと思っていました(笑)。
でも、そのもらった言葉が今も潜在意識に刷り込まれているのか、たびたび、頭をよぎるんですけど、社会に出て、こうやっていろんな人とお話をする機会が増えると、あのとき、何度も言ってくれて本当にありがたかったなとしか思わないですね。
あと、お話をさせてもらって、いつも感じていることがあるんですけど、第一線で活躍されていて、ぼくが素敵だなって思う方は、人をとても大事にされますし、ちゃんと向き合ってくださるんですよね。でも、言うべきこととか表現すべきところは一切の妥協なく行われていて、すごいなぁと思います。そんな方たちとの出会いは、ぼくの世界も広げてくれますし、大切なことを学ぶことも多いです。いろんな分野の方と出会えていることが本当にぼくの財産です。

  • もう1点、報われない状態の中でモチベーションをキープして活動を続けられたことも素晴らしいと感じました。なにかモチベーションを保つ秘訣はありますか?

ぼくの場合、東大受験という成功体験を持っているというのは大きいですね。でも、やっぱりそれを聞いた人から「自分にはそういう経験がないから」と言われてしまうと、本当に悲しくなります。
ぼくが開催している講座の中でも「文章を書くのが苦手だったのにショートショートなら数行書けました」ということがあるんですけど、最初はそれでいいと思っているんです。プチ成功体験が全くないっていう状態が一番よくなくて、なかなか続け辛くなるんですよね。小さな成功体験でも積み重ねていくことで、楽しくなりますし、自信にもつながって、続けられると思うんです。

田丸さんが実際に開催している講座の風景

結局は「運だ」とかよく言いますし、ぼくもそう思う側面もあるんですが、地道に続けていたら、運を呼び込む確率も上げられるんじゃないかと思っています。
ぼくは何もせずに運まかせで大成功できるタイプではないので、ただ地道にやりましたが、やっぱり「続ける」ということが大切だと思うんですよね。そうしたら少しずつでも変わっていくのではないでしょうか。

取材/2021年9月
講座写真提供/田丸雅智
インタビュー撮影/中西祐介
WEB構成/肥後沙結美
インタビュー・構成/「キミの東大」企画・編集チーム