「今年いちばん笑顔になったこと」―ちょっとひといき ちょっとひととき(15)

2025.12.23

東大生コラム

テーマを絞って発信する東大生のコラム企画

第15回目のテーマは「今年いちばん笑顔になったこと」。今年も残り1カ月を切りました。今年1年を振り返っていちばん笑顔になったというエピソードを教えてもらいました!

 

成人式

教養学部3年 K.M.

1月に成人式があり、母校での集まりの後、部活の同期でカラオケに行きました。私たちの学年は全部で9人。在学中はしょっちゅう顔を合わせていたけれど、卒業後みんなで集まったのは初めてです。せっかくのカラオケなのにほとんど歌いもせず、思い出話や大学のこと、人間関係の様子など、いろいろおしゃべりしました。みんな高校生の頃より垢抜けていて、それぞれ人生も前に進んでいて、でも優しくておっとりしたところは高校時代から全然変わっていなくて、そのことが妙に嬉しくて、私はみんなが話している間ずっとニヤニヤしてしまっていたのでした。 朝早くから授業があるという人に合わせて日付が変わる前に解散した後、私は帰る路線が一緒の2人とケバブを買って食べました。高校生の頃は見ることがなかった深夜の街は思いのほか人通りがあってきれいでした。高校生活はコロナ禍と丸被りしてしまったこともあり、明るい未来が思い描けず鬱々と過ごしていた覚えがあります。ケバブを片手に終電を逃すまじと急ぎながら、大人になるのも悪いものではないと思いました。   

カラオケで乾杯

 

笑顔にしてくれる夢の舞台

法学部3年 冬の空

私が今年いちばん笑顔になったのは、夏休みに地元から来た母と一緒に、劇団四季のミュージカル『美女と野獣』を観に行った日です。半年以上前から予約をして、ずっと楽しみにしていた観劇でした。東京ディズニーリゾートのある舞浜で上演されているため、劇場までの道のりも非日常の世界で楽しく、既に笑顔になっていました。観劇中は、大好きな物語が目の前で繰り広げられているのが夢のようで、最初から最後までずっとわくわくしていました。つらいことを忘れて思わず笑顔になれる、とても素敵な舞台でした。帰り道も気持ちが高揚していて、母と感想を言い合いながら、笑いが絶えませんでした。苦しみ抜いた期末試験から解放されて1日中笑顔でいられた、魔法にかかったような日でした。あまりに素晴らしい舞台だったので、同じ作品を計3回観ました。3回目は都合で東京に来ていた父と一緒に観に行くことができ、家族と感動を共有できたことはとても大切な思い出になりました。


 

初めてのペスカトーレ

文科三類 R.K

今年の11月に、授業終わりに友人とちょっとおしゃれなイタリアンに行きました。そこでパスタ料理でも有名なペスカトーレのピザを初めて注文してみました。私はあまりシーフード系のピザは頼まないのですが、メニュー表にあった写真に惹かれて思い切ってチャレンジしてみました。ピザの上には、トマトベースの生地の上にタコ、イカ、ムール貝、エビが乗っていて、どれもプリプリそうで、新鮮さのためなのかお腹が空いていたせいなのかとても照り輝いていました。口に入れた瞬間、美味しすぎて一旦思考がストップして固まってしまいました。そして友人と目を合わせて互いに、それはもう満面の笑みを見せて、口全体にふわりと広がる魚介の旨みとトマトの酸味、ピザ生地のもちもち感を堪能しました。 最近では食事を通して感動した体験があまりなかったので、本当にあの時のペスカトーレは印象的でした。また必ず食べに行きたいなぁ。いつまでも、大切な人と過ごす食事の時間と、その時の笑顔を忘れずにいたいです。

こちらが食べたペスカトーレピザの写真です!

 

童心を思い出す

法学部3年 F.Y.

夏休み、私は山梨県で、サークルの合宿に参加していました。最終日は自由行動で、各自が 観光地に散らばりました。 私の班は、大日影トンネル遊歩道というところに行きました。 昔鉄道が走っていたという長いトンネルで、線路の上を歩くことができます。 お客さんもほ とんどいなかったので、こだまする声で会話を楽しんだり、距離を取った場所から声が届くまでの時間差を楽しんだり、まっすぐなトンネルを思いっきり走ったりして、笑い転げました。ふと、小さい頃こんなふうに遊んだなと思い返しました。大学生になると、まっすぐな道を見つけて走り出したり、声が響くところで大声を出したりするのはとても恥ずかしくてできませんが、その日は人目がなく、非日常感もあったので、何も考えずに遊べました。 同じ班のメンバーには初対面の方もいましたが、そんなことも関係なく、思う存分笑いながら、トンネルを楽しみました。ただのトンネルがこんなに楽しいとは思いませんでした。 童心に帰ったような楽しみ方をすることができ、とても楽しかったです!


トンネルと線路

 

教授からの「wo」

農学部生命科学研究科 マリア

私は研究活動の一環で、毎年夏に無人島調査に行きます。しばらくテント生活をしながら、野生動物の調査を行うというものです。食料は持参しますが、無人島なので自由に使える水も電気もない比較的ハードな調査です。今年もそんな調査を行いました。 その日、私は無人島滞在5日ほど経った頃で、疲れが溜まっていました。夕方、本土にいるチームに安全を伝える定時連絡を行うため本土に最も近い場所に移動すると、教授からメッセージが4通届きました。その一部が「wo」「kakunin」と何やら様子がおかしく、詳しく読んでみると「(略)〜しているかwo」「wo」「kakunin」「を確認する予定です」と細切れになっていました。内容は調査に関する至極真っ当なものでしたが、デジタル機器を前に文字変換に苦戦する教授の姿を想像し、さらに「wo」がツボに入ってしまい、しばらく笑いが止まりませんでした。おかげで疲れは吹き飛び、残りの調査も無事に行うことができました。学生の疲れを癒す教授の素晴らしい配慮と笑いのセンスに、改めて教授の偉大さを感じました。

海の綺麗さにも癒しをもらえる通信を行った無人島の浜

 

祖母が仕立てた振袖

理科二類 Herbst

認知症の祖母が私の振袖姿を見て笑顔になったこと。これが今年でいちばん私の周りが温かい笑顔で溢れた出来事です。私は今年の夏に成人の記念撮影をしました。私の着た振袖は、私の母も着ていた振袖でした。これだけだったらよくある話ですが、この振袖は祖母が反物を買い付けて仕立てた特別なものでした。祖母は数年前から認知症になって施設に入っているため、祖母の手仕事を見ることどころか、祖母の手料理を食べることすらもう叶いません。さらに、上京してきた私は祖母と会う機会が減るにつれて母世代の女性と勘違いされることも増えてきました。しかし、後撮りをしてから祖母の施設を訪問すると、「〇〇ちゃん、よう似合ってるよ」と祖母自ら声をかけてくれたのです。祖母が縫った着物であることを母と2人で説明すると、「そうやで、私が縫うたんや」と誇らしそうで、認知症になって以降自信をなくしがちだった祖母の明るい表情に私と母まで思わず笑顔になったひとときでした。


二十歳になりました

 

Permutatio personarum

法学部3年・端山逸

外に出て、人と交わる中で、役柄をとっかえひっかえ演じているような、そんな感を覚えることがあります。エピクテトスのように、現世を突き放してみるというのではないけれど、誰かと自分との「対しよう」は、決して閉じていないことに気づくのです。 アルバイトで勤めているスーパーに、私の入る日の午後10時台、必ず来られるお客さんがいます。仕事終わりに疲れ、なおかつほっとした様子で買い物をされます。幾度か、取り忘れたおつりをお渡ししたこともありました。 平日の昼休み、裏通りの小さな喫茶店に入りました。昼時にもモーニングセットを出すという、久しぶりにみる趣向です。メニューの小倉トーストが手頃で懐かしく、一杯一皿を声がけしました。調理場から注文を取りに来られると、いつものお客様ではありませんか。思わず「いらっしゃいませ」と言い合ってしまいました。 店のほかに近くで顔を合わせる機会があるとは思ってもみませんでした。客と店屋と、立場はそのつど違いこそすれ、あくまで外身に過ぎないのだろうと思います。


邂逅相遇かいこうそうぐう

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企画・構成/「キミの東大」編集チーム
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