ちょっとひといき ちょっとひととき(10)-東大生のともだち

2024.06.27

東大生コラム

テーマを絞って発信する東大生のコラム企画

第10回目のテーマは「東大生のともだち」。ちょっと気になる東大生の友達事情。多様な価値観をもった人が多いと言われているけど、実際はどうなんでしょう。現役東大生のお話を読んで、ちょっとひといきつきませんか?

ふたりはともだち

教育学部4年 ごとう

たまに、“おてがみ”をやりとりする友達がいます。SNSで繋がっていますが、それでも郵便でやりとりをします。
友達が出張に行ったときは、現地からポストカードが届きました。
友達の誕生日に、今度は私が出張で、前もって配達日指定でバースデーカードを出しました。
毎日のようにメッセージでやりとりしていても、手紙の返事は、手紙で。この緩やかな時間の流れが、いつもの友達とのやりとりを特別なものにしています。
ところで、アーノルド・ローベル『ふたりはともだち』の「おてがみ」というお話を知っていますか?私は小学校の国語で出会いました。手紙をもらったことがなく、郵便配達の時間に憂鬱になるがまくんに、かえるくんがこっそり手紙を出す、というストーリー。届く前にかえるくんが手紙を出したとがまくんにバラしてしまい、でもそれでがまくんを元気付ける、心温まるお話です。
待ちきれずインターネットを介して「手紙届いた?」と聞いてくる友達を見て、現代のかえるくんだなぁと、このお話を思い出しました。
そんな私の“ともだち”のお話でした。

封蝋の手紙を受け取ったのは初めての経験です。

 

言語がつなぐ友達

教養学部4年 谷栞里

東京大学に入学してから早3年が過ぎ、入学した年は同じ高校の出身者が2人しかおらず友達作りに不安を抱えていた私にも、気がつけば優秀で頼れる友達がたくさんできました。東大で出会った友達は皆かけがえのない存在ですが、特に印象に残っているのは留学生の友達です。高校卒業までほとんど国際交流経験のなかった私は、大学の第二外国語として中国語を選択したことをきっかけに中国に興味をもちました。中国と関係のあるサークルに参加したり、中国留学生の言語パートナーと交流したりする中で、中国からの友達と仲を深めることができました。
現在は、中国の北京大学に留学しており、自分が留学生として現地の学生や他地域の留学生と交流しています。言語学習の素晴らしさは自分の学問的視野が広がるだけではなく、多言語での交流を通して、自分にも交流の相手にも生活の彩りを与えられる点にあると思います。かくいう私は、新しくヒンディー語を学ぼうかなと思いつつ、いつまでたっても始めていないのですが…。今年こそは頑張ります(n回目)!

鎌倉の海で貝殻探しをする北京大学からの留学生

 

ある夜

人文社会系研究科 Sophie

A 歳は1つ上、けれど入学年度は一緒。最近はすっかりご無沙汰してしまっていたから、久々に会えて嬉しい。飛び込む勇気とバイタリティが素敵な人。
B いつも元気で明るくて、私には絶対に真似できない場の盛り上げ方をしてくれる。東大を卒業して、いまは違う大学の違う学部で勉強している、フレンドリーで冒険家な人。
C 入学してすぐに知り合い、ずいぶんしてから接点が増えて、知らず知らずのうちに一方的に恋に落ち、そして勝手に失恋した相手。まっすぐで、そのまっすぐさゆえにちょっと心配な、優しい人。
D 東大にいたころを知らないくらい歳が離れているけれど、ちょっとした集まりに最近頻繁に顔を出してくれる。はっとするほどの気遣いを見せてくれる、穏やかな雰囲気の人。

そんな4人とお酒を飲む夜。ひと雨来そうなどんよりとした夜の空が、飲み屋街の明かりを反射する。どんなお酒が好きなのか。どんな人が好きなのか。どんな自分になりたいか……。楽しい時間は飛ぶように過ぎ去る。改札で手を振り返し、次会えるときまでまた頑張ろう、と小さくうなずく。

どうして私たち、一緒に写真を撮るのをいつも忘れてしまうのだろう

 

かけがえのない友との出会いと友情の再確認

理科二類2年 K.M.

大学生になって、高校の時のように毎日顔を合わせる人も減り、自由な人間関係を築けるようになった。それは、「自由」という意味で、良いものにも感じるけれど、自分で積極的に友人と繋がろうとしないと寂しくなってしまう、ちょっと不便で、面倒なものでもあった。
高校の時よりは、常に関わる人も減った気がする。でもその分、本当に心の許せる人との関わりが増えたような気もする。同じ趣味や、同じ志、共に切磋琢磨し合える仲間、いざという時に頼れる友だち。テスト期間に一緒に勉強を頑張れる友人。息抜きに付き合ってくれる友。
私には、大学を通して、たくさんのかけがえのない友人ができた。本音で話せる友だちや、弱音を吐ける存在、近くに住んでいて気軽に会える友は、一人暮らしをする中でも、本当に大切になった。
そしてもちろん、大切な友人を再確認することもできた。同じ高校出身の友人や、地元の友人。東京に遊びにきてくれたり、一緒にご飯を食べたりする中で、安心感を与えてくれた。
友人だけでなく、先輩もとても大切な存在だった。高校の先輩で同じ大学の人や、サークル、ゼミの先輩など、悩んだことがある時に相談に乗ってくれる人がたくさんいたからこそ、初めての一人暮らしを乗り越えられたと思う。
これからも、友や先輩への感謝を忘れず、大切にして、自分らしく楽しく生活していきたいと思う。

友人とテスト明けの息抜きに行ったカフェで食べたプリン。
友との息抜きから元気をもらっている!

 

入学して2ヶ月とちょっと

文科一類1年 ひより

大学入学当初の不安、それは友達ができるかどうかであった。なんせ私は、中高一貫校の出身であり、久しく新しい友達づくりというものを経験していなかったのである。 しかし、この東京大学、入学すればほぼ確実にともだちができる神システムを採用している。それがクラス制だ。入学早々、上クラの方々によって、新入生同士が仲良くなるためさまざまの施策が講じられる。プレオリ、オリ合宿、クラス写真撮影まで参加すれば、もうぼっちでのキャンパスライフに怯える必要はない。 英語、第二外国語の授業を始め、準必修、スポ身(身体運動・健康科学実習Ⅰ)など、週に10コマはクラスメイト(ともだち)と授業を受けている。昼休みには、いつも集まってる場所に集まり、皆一緒に昼ご飯を食べている。 まだ、入学してから2ヶ月ほどであるが、多くの時間をクラスメイトと過ごし、その仲は着実に深まっている。暇さえあれば、恋バナ、またはスペイン語学習に身を投じ、苦楽を共にして、険しい大学生活を生き延びているのである。今後とも、クラス全員で単位取得を目指し邁進していく。

五月祭にて。クラスみんなで出店するのは、最高に楽しかったです!

 

批判し、批判する

文科一類2年 Druzʹjá

「ともだち」というとき、「智恵ある」(徒然草)友の存在が大きいと感じます。きっかけは「初年次ゼミナール文科」(初ゼミ)で、少人数クラスで議論をし、期末に小論文を執筆するという授業でした。
このゼミ(演習)という形式こそが私にとって大きな衝撃でした。というのも、授業での人との関わり方が高校までとは一線を画していたからです。演習ではメンバーの報告に対して批判を行うことが求められます。揚げ足取りではなく、主張の論理的な不備を筋道立てて示すことが重要となるのです。その中で、批判することとけなすこととが違うということを身にしみて学びました。私も論点の矛盾を鋭く指摘され、頂門一針を打たれる感覚が今でも鮮烈に残っています。
それ以来、初ゼミの同期と会うたびに議論をしています。批判を交わす中で絶えず新たなことに気づかされます。皆温かく聡明な「畏友」であり、尊敬の念に堪えません。二年生は進学選択を迎えますが、いずれの道にせよ議論をする場に行きあいます。友人たちと厳しく批判をし合い、前進してゆきたいと思います。


今を大切に

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原稿作成/2024年6月
企画・構成/「キミの東大」企画・編集チーム
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