ちょっとひといき ちょっとひととき(7) 

2023.07.07

東大生コラム

テーマを絞って発信する東大生のコラム企画

第7回目のテーマは「グッときた、あの人のあの言葉!」。誰かの言葉でグッとくる瞬間は誰にでもありますよね。今回は、東大生の心に響いたちょっとした一言や歌詞、セリフなどをグッときたエピソードとともにご紹介いたします。その言葉を胸にまだまだ突き進んでいきます!

「欲張らないとダメだよ。」

理学系研究科 Y.Y.

私がこの言葉を言われたのは、現在もアルバイトとして働いている会社の社長と初めて面接で会った時だ。そのアルバイトの面接で、社長が「君は将来何をやりたいの?」と尋ねてきた。
その際、今まで誰にも言っていなかった壮大な計画を話した。それは「博士号をとって教鞭をとるようになりたいし、月面ローバー、スマート農業もやりたい。金魚、メダカ、カブトムシとクワガタムシのショップも開きたい。カフェもいいなぁ」というものだった。これを言うと、「一個にしぼれ」だとか「そんな全部は無理」だとか言われるだろうと思っていたため、他人に隠してきた経緯があり、「言ってしまった」と思ったのを今でも覚えている。
しかし、私の返答を聞いて、社長がいった言葉が「欲張らないとダメだよ。少しでもやりたいと思ったらやらないとダメだよ。後悔する。自分が思っているより年をとるのってはやいから」である。私は学生起業に挑戦しようとしていて、困難にぶつかるたびにこの言葉を思い出し、自分を奮い立たせている。

やりたかったスマート農業を実践して育てたトマト

 

「才能って努力して見つけ出すもんなんじゃない?」

文科二類2年 弓人某

これは小さい頃の自分が発した言葉で、今も心に残っていますし、原動力になっています。
弟が「何にでも才能がないと大成できないんだ」と口にしていて、凡庸さの塊だった小さい頃の僕がなんとか言ってやりたいと思って、言い放った言葉です。
大学に入り、日々授業に出ていたり、あるいは部活動で弓道をしていたりすると、どう見てもこの人は才能の塊でしかないと感じる人に出会います。それに対し、自分は未熟さを突きつけられ、どうやっても追いつけないのではないかと感じることがあります。
ただ、勉強のできる人は、溢れ出る知識から感じられるように圧倒的な読書量があると感じますし、弓道で上手い人は、練習によってしか得られないであろう圧倒的な理論的基盤を持っています。
これらを前にして、自分の不十分な努力に目を向けず才能の問題にすることは、いささか彼らに失礼な気がします。 努力の末、才能を得るべく、今日も何とか勉強に弓道に食らいついていっています。

努力の末に必ず手に入れる!

 

「雑草のように生きろ!」

法学部3年 はまね

みなさんは、雑草にどんなイメージを抱いていますか?草むしりは大変だと否定的な印象をお持ちの方も多いのではないでしょうか。実は、雑草のような生き方こそ、私の理想なのです。
「雑草のように生きろ」という言葉は、私が東京大学に進学し、周りのモチベーションの高さに自分を見失いかけていたときに、父が私にかけてくれた言葉です。父によれば、「雑草のように生きろ」とは、敵対的な環境でも生き続ける粘り強さを意味します。雑草は、その土地の水分が少なく、また栄養が乏しくても、粘り強く成長し続ける根気強さを有しています。
大学進学後、個性の強い様々な学生とのかかわりの中で自分なりの居場所を見つけていくことをあきらめかけていた私に、父はどんなにつらい環境でも根を張って、粘り強く成長していくことの重要性を気づかせてくれました。社会に出てからも、雑草のようなド根性精神で居場所を開拓していきます!


我が家に根を張る開拓者たち

 

「どんなにせつなくても 必ず明日は来る ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない」

理科二類1年 takotako

高校時代、自分の進路に悩んで、先が見えないような気持ちになった時。
勉強をし続けながらも、この先にどんな困難があるのかがわからなくて、不安だった時。
ある歌詞が私の心に響いた。私を支えてくれた。
「どんなにせつなくても 必ず明日は来る ながいながい坂道のぼるのは あなた独りじゃない」
私は、あの時、一人孤独に頑張っている、と心のどこかで思っていた。けれど、それは違うと感じた。私は独りじゃないんだ、と。
たくさんの人が私を支えてくれている。そう思えると、心がとても楽になった。また頑張ろう、と思えた。
高校生は、どこか大人のようで、でもまだ子どもで。
そんなどっちつかずの感じが、自分を不安にさせることもある。
将来像が描けなくて、焦りを感じることもある。
でも、どうか、自分を大切にして、自分を信じてほしい。少しずつ進むことで、何か見えてくるはずだ。道がひらけてくるはずだ。
そして、何かあなたに夢が見つかったなら、それを大切に育てて、花を咲かせてほしい。 
私は、あの歌詞に大切なことを教えてもらった。

まだまだ続くながい道、それでも一歩ずつ歩いていく

 

「その意志の強さを私は信じてるよ。」

経済学部3年 PANDA

高校三年生の時、親しい友人が受験勉強に励む私にかけてくれた言葉です。当時、私は東大模試や共通テスト模試での成績が思うように伸びず、第一志望である東京大学に進学できるかどうか不安に感じ、焦っていました。そのような中、小学校中学校高校の12年間共に過ごし、私のことをよく理解してくれている友人が、高校でお弁当を食べている時に、静かに、でも思いを込めて、このように言ってくれたのです。
指定校推薦で先に学部が決まっていた彼女は、私の不安な気持ちを100%理解していた訳ではなかったと思います。しかし、それでも、私の努力を見守り、応援してくれている友人がいるということに、グッと来ました。あと少し踏ん張れるかどうか、その後押しをしてくれた友人には今でも感謝していますし、今でも辛いことがある度に思い出す言葉です。
お互い別の大学に進学しましたが、今でも仲良くランチに行き、会話に花を咲かせています。

その友人と大学に入ってから行ったランチにて

 

「受験が終わった後もあなたたちの人生は続いていくんだよ。」

文科一類 梅の木

高校の担任の先生がおっしゃった言葉です。受験は人生の通過点にすぎないので、受験に囚われることなく、総合的に良い人生を歩んでほしいというメッセージでした。
当時の私は「受験にさえ受かれば全て解決する」と思いこんでいましたが、合格した今でも、もちろん悩みはあります。
知人には第一志望ではなかった大学で充実した生活をしている人もいます。
受験の合否はとても重大に思えるかもしれませんが、進学先が人生の全てを決めるのではなく、みなさんが今送っている生身の日常は、ずっと続いていきます。
また、どの大学に行っても、きっと夢は叶えられます。受験への不安に飲み込まれそうなときは、「どこへ行っても自分らしい人生が待っていて、人生を通じて何かを成し遂げることができるんだ」ということを心に刻んでおいてください。

 

「違うから好きになるのに、違うから届かない」

文学部4年 Sophie

とても考え方の似た友達ができた。片方が言いかけた言葉をもう片方が引き取って、「そう!」となることもしばしば。でも全部同じなわけがない。こう思ってるんだろうなという当てが外れることもある。そういうとき、「届かない」と思う。
冒頭のひと言は、吉本ばななの小説『ジュージュー』から。逆に「同じだから好きになるのに、同じだから気づかない」と思うこともある。違うことが歯がゆいこともあるくせに、ああもうちょっと違えばって思うこともあるなんて、同じとか違うってこんなに難しい話だったのか。  

ぐにゃぐにゃ考えても仕方ないと踏ん切りがついたのも吉本ばななの言葉。今度は『もしもし下北沢』から。
「わかろうとしたり、わかったつもりになってあれこれ考えるよりも、毎日を自分なりにこつこつ紡いでいくことに決めたのだから」
私ももっと素直に目の前のことと向き合い、友達との会話を純粋に楽しんで、毎日をこつこつ紡いでいこうと前を向く。

違うから届かない、同じだから気づかない。まるで水面に映った影みたいだと思う

 

「君、文系に行ってたなら」

理科一類1年 K.I.

「君、文系に行ってたなら、現役で進学できたと思うよ」。これは浪人を始めた時にある人から言われた言葉だ。
私は理系大学生だが、私はこんな言葉を浴びせられるくらいには、理系の目がない。受験勉強では理系科目に苦しめられた。だからこそ、人一倍努力し、他の優秀な人にキャッチアップしようとしたが、やはり浪人を余儀なくされた。
その一年後、私は晴れて理科一類への進学を果たせた。とりあえず遠回りはしたものの理系大学生になれたことは、一年前にこんなことを言われただけに、大きな励みになった。
諦めずに努力すればなんとかなるということが、この言葉とその後の経験を通じてよくわかった。グッときたというのとは少し違うかもしれないが、ある意味でこの言葉は自分の能力を過小評価するべきではないことに気づかせてくれたわけだ。今でも時々思い出しては、頑張ることの大切さに思いを致している。

自分の可能性を信じる!

 

私は一人では世界を変えられないけれど、水の上に石を投げてたくさんのさざ波を起こすことはできるわ。
I alone cannot change the world, but I can cast a stone across the waters to create many ripples.

農学生命科学研究科 S.K.

高校時代、学習支援や食支援活動に参加しながらも、貧困や教育格差、飢餓、気候変動など、自分一人の行動では大きな効果が見込めないような様々な社会問題を前にして、無力感に苛まれることがあった。
どうしたら社会はより良くなるのだろう、そして私には何ができるのだろうか。
モヤモヤを抱えつつ何気なく手に取った本の中で、マザー・テレサの言葉が目に飛び込んできた。私は一人では世界を変えられないけれど、ささやかながら波紋を広げていくことはできる。その言葉が染み入るように胸に落ちたとき、気持ちが前を向くのを感じた。
私がどう頑張っても、一人では世界を変えられないだろう。けれど精一杯足掻いてみよう。 それがさざ波となって広がって、いつか大きなうねりになり、そして世界は行きつ戻りつし ながらより良い方向へ少しずつ動いていくかもしれない。
彼女の言葉は私にとって希望であり、エールでもある。これからも、水の上に石を投じ続 けたい。

大自然の中の人間は小さな存在だが、小さな波でも積もり重なれば大きくなる。今自分ができることを見つめていきたい。

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