体育の授業で知的な営みのベースとなる体力を養う―東大とスポーツ

2019.04.19

スポーツ

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東大体育授業

東大とスポーツ

「あれっ? 大学に入ってからも『体育の授業』ってあるんだ!」
小学校、中学校、高校で体育が好きでなかった人はこう思うかもしれません。しかし実は、東大に限らず、多くの大学で体育は必修なのです。それはいったいなぜでしょう? そして、東大の体育はどんな風に行われているのでしょうか?

学生が、自分の好きな種目を選べます

東大で高校までの体育にあたる科目「身体運動・健康科学実習」を担当するのはみな、東大でスポーツ科学の研究をしている第一線の研究者。それぞれの専門分野や競技経験をもとに、驚くほど多彩なプログラムが用意されています。

授業を担当する先生のひとり、八田秀雄先生が東大体育の特徴を教えてくれました。

東大体育授業
八田秀雄先生

八田先生 「1年次は必修で、曜日と時間はそれぞれあらかじめ決められていますが、どのコマになっても7~8種目から自分の好きな種目が選べるのです」

サッカーやバレーボール、バスケットボール、ソフトボール、テニス、ハンドボールなど高校の授業にもある種目だけではなく、冬季に集中日程で授業が行われるスキーや、2年生ではゴルフも選べます。また、運動に関わる科学を実習を交えて学ぶ「サイエンス」や、ウエイトトレーニングも。ウエイトトレーニング(東大では「フィットネス」と呼ばれています)はなんと、50年以上前から体育の種目に組み込まれているのだとか。

東大体育授業
トレーニング設備は体育の授業で使われている時間以外は学生なら誰でも利用できる。
運動部の学生が筋トレをしていることも多い

八田先生 「そのほか、太極拳やヨガなどができる『東洋的フィットネス』という選択肢もありますし、最近は、世の中で注目を集めているからか、卓球やバドミントンの人気が高いですね」

また、陸上を選択する学生も増えているとのこと。社会のジョギング熱やマラソン人気とも連動しているのかもしれません。

八田先生 「陸上は誰かとの競争ではなく、自分と対話するスポーツ。チームスポーツや勝ち負けにこだわるスポーツには抵抗があるけれど、陸上は自分に合っていると思う人も多いようですね」

強制しないことで、運動とのいい関係を

八田先生 「私の授業ではただ走るだけなんですが、がんばる学生は毎週の授業のたびに10キロ走っていますし、走り続けるのが辛い人は途中で歩いてもいいんだよと伝えています」

ランニングといえば、高校までの学校行事や部活動で死ぬほど苦しい思いをして走らされて、走ることが嫌いになってしまった人も多いはず。しかし授業で、歩いてもいいと言われて自分のペースで走ってみると、数キロぐらいはあっという間。むしろ気持ちがいいことに気づいたりもします。

八田先生 「体育は必修だからこそ強制の要素はできるだけ少なくして、運動へのハードルを下げたい。そして、定期的に体を動かす習慣をつける最初の一歩にしてほしいんです」

「なぜ体育の授業を受けなくてはいけないの?」

けれど、「大学に来てまで体育なんて……」といやいや参加する学生はいないのでしょうか?

八田先生 「いえ、出席率は総じて高いですね。2年生では必修ではなくなるのに、半分以上の学生が履修します。3年生も4年生も、大学院生も履修できますし」

当初、体育の履修は2年生までに限られていました。けれど法学部からの要請があり、30年近く前に3年次以降も履修できるカリキュラムに変わったのだとか。そう、勉強するにも研究するにも、就職して仕事をするにも、最後の最後まで粘れるかどうかを決めるのは体力。いかに知的な能力を磨いても、ベースとなる身体が健康で、体力が十分になかったら、せっかくの知力を長期にわたって発揮することはできません。

八田先生 「昔は学生でも研究者でも、社会人でも、勉学・研究・仕事だけがむしゃらにやっていれば結果がついてくる。運動なんてしている場合じゃない、という考え方の人が多かったのですが、最近は、何を乗り越えるにしても体力や健康が必要であることが認識され始めてきましたね」

東大体育授業

たしかに、研究者として世界的な成果を出し続けている人も、社会で活躍し続けている人も、みな体力の重要性を口にしています。

八田先生 「でも、何もしないでいたら人間の体力は18歳をピークに落ちていくんです。つまり、大学入学以降は、放っておくと誰でも下がっていくということです」

東大では、2年生までは専攻を決めず、理系・文系の区別もなく、広い範囲にわたって教養を積む期間とされています。3年生からの専門的な勉強に向けた、基礎トレーニングの期間です。この時期に体育が必修であることには、体力の低下に気づかないまま4年間を過ごしてしまうことを防ぎ、その人が一生にわたって活躍し続けていくための「人生の基礎」をつくる意味もあるのです。

八田先生 「さらに、うつなどの精神面の問題を抱えた時にも、運動は治療として効果的だと言われています。メンタルの問題を抱える学生は増えてきていますから、予防のためにも定期的に体を動かすことは重要。といって予防のために運動しようという学生はなかなかいないでしょうから、そこでも体育の授業が役立っていると考えています」

半世紀以上続く、東大生体力テスト

東大の体育には運動の実技だけでなく、スポーツ科学の実習があります。

八田先生 「たとえば実際に心拍計を自分でつけて運動の前後で数値や自分の感覚と比較してみたり、フットビューという測定器で自分の体の重心がどこにあるかを測ったりと、動作や運動のサイエンスを実習で学ぶんです」

昔ながらの体力テストも年に2回行います。種目は垂直跳び、腕立て伏せ、反復横飛び、踏み台昇降の4種目。この体力テストは、1950年代から同じ方式、同じ種目で行われています。これほど長期にわたって一つの大学で行われてきた調査はおそらくないでしょう。

八田先生 「同じ方法を継続し、各種目の男女別平均値を毎年出すことで、長期にわたる体力の変化がわかるのです。その60年近くの傾向を見ると、1988年くらいで平均値がピークとなり、その後は右肩下がりで下降しているのが見てとれます。垂直跳びの高さは男女とも平均で7センチも下がっています。これはかなり大きな下降幅です」

最大回数を65回に設定して行う男子腕立て伏せは、以前は65回をクリアする人が1クラスで数人はいたのに、いまは1人いるかいないかだそう。高校生は自分自身の人生の体力のピークにあるので、体力を維持する重要性を認識しにくいかもしれません。しかし体力とは、失いやすく、失った後にその大切さに気づくことが多いものでもあります。

八田先生 「将来、自分が職業にするわけでも研究するわけでもないのに教養課程で数学や哲学などを学ぶことと同様に、体力・健康維持の重要性を知ることも、1年生のうちに身につけておくべき『教養』の一つだと私は思うのです」

スポーツ科学の講義も人気。3年次以降に専攻することも可能です!

東大では体育の授業とは別に、スポーツ科学の講義も開講されています。

八田先生 「非常に人気が高くて、1コマで数百人が履修するので教室はいつもいっぱいです」

そして講義や部活動でスポーツ科学の面白さに目覚めたら、スポーツ科学の研究の道に進むことも可能です。3年次に教養学部統合自然科学科に進むと、4年次でスポーツ科学のサブコースに進めます。東大の中で唯一、スポーツ科学を真っ正面から研究するコースです。体育の授業を担当する教員はこのコースの研究者なのです。大学院は総合文化研究科広域科学専攻の生命環境科学系身体運動科学グループ。運動生理学、スポーツ医学、モーション(フォーム)研究、神経コントロールなど、さまざまな分野で研究が活発に行われています。

八田先生 「僕自身は運動時に体内で作られる乳酸の代謝の研究を専門としています。この春には、箱根駅伝に出場した東大工学部の近藤秀一君が研究室に入ってきて、実業団ランナーをしながら修士課程でランニングの研究を進めることになっています」

スポーツを対象とした研究への入り口。そしてすべての学生にとって重要な、知的な営みのベースとなる体力を養う授業。東大の体育は高校までとは違う、大きな役割を果たしているのです。

 
※ すべての曜日・時間の授業で、本記事に登場したすべての種目から選べるわけではありません。通常、1コマあたり7~8種目が選択肢として用意されています。
※ 障がいや病気、けがなどで一般的な運動は難しい学生のための「メディカルケア」コースを選択することもできます。けがをした学生が学期の途中から参加することも可能です。

取材・撮影・構成/学生ライター・江口絵理