新型コロナウイルス禍――今、東大生は考える(16)

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異例の大学生活に直面した東大生のショートエッセイ 第16回

2020年から始まった新型コロナウイルス感染症の流行を受け、東大では授業はもちろんのこと、学生の交流や課外活動にも大きな影響が生じています。様変わりした大学生活を送る中で感じたこと、考えたことを、東大生に綴ってもらいました。

東京は雨

4月になって授業が始まった。最初は全部オンライン。緊急事態宣言も出た。行きたかった美術館も開いてないし、コンサートは中止。外出自粛で、折角今年からやってきた東京の街に出ることもなくなり、ちょっと気が滅入る。
ある雨の日、買い物がてら気分転換にと池袋まで散歩した。途中狭い道があって、人とすれ違う時いつものように傘をすぼめた。相手もどうせ同じようにするか傘を高く掲げるだろう。私は気にも留めず歩き続けた……が、彼は傘を30度ほど横に傾けた。今まで見たことがないかわし方である。少し驚きつつ、そういえば昔読んだ何かの本に「すれ違うときに傘を傾けるのが江戸っ子のマナーだ」と書いてあったな、などと思いを巡らせた。
緑色の電子レンジのような顔の電車をホームドア越しに見たときよりも、街頭の喧騒の中で、鳴り響く三千里薬局の広告を聞いたときよりも、もっともっと東京という土地を感じたような気がした。

文科二類 1年 ふく

 

コロナ禍の中で得たもの

私はまだ人類が抜け出せない長いコロナ禍の中で、二つ得るものがあった。
一つ目は、重い重い体重だ。この一年間で、七キロほど太った。友人どころか、祖父母にもぱっと見では誰かわかってもらえなかった。さすがにこのままではいけないと思い三月から筋トレを始めたが、この数カ月でまだ二度しか実践できていない。夏までに腹筋バキバキ計画に大幅な進捗の遅れが出ている。
得たものの二つ目は、友情だ。コロナのためにいまだオンライン授業が多数を占めているが、オンライン化が進んだからこそ、深まる友情もあると私は思う。例えば、Zoomへの造詣が深まったことで、いつでもZoomを用いて友人と会話できるようになった。また、自分とは別の授業をとっている友人と同じ空間で授業を受けられるようになった。
もちろん早くコロナが収束するに越したことはないが、禍福は糾える縄のごとしというのもあながち間違いではないのではないかと思う。


明日の空はきっと
文科三類 1年 S.Y

 

まとめるということ

2年生になって、サークルでも、授業の話し合いでも、年が上ということでリーダーシップをとるような機会が最近増えてきました。
先頭に立って物事に取り組むというのは小さい頃からまったく得意ではなかった私ですが、昨年1年間の大学生活でチャレンジしたさまざまな活動を通して、少しずつ周りの人の意見をまとめることに慣れてきたようです。というのも、ときどき訪れる簡易性格診断サイトでの結果が、高校生時代のものと大きく変わったのです。
以前の自分が嫌いなわけではないけれど、何かひとつできることが増えた気がして、私のやってみよう精神が良い方向にはたらいたのかなと嬉しい気分。と同時に、これから私の関わっている活動が次々と対面に移行していくようなことがあったら、ちゃんとまとめられるのかなと不安な気分。この2年間というもの、オンラインで行われる話し合いばかりに参加しているわけですから。ちょっぴり複雑な心境です。

文科三類 2年 Sophie

 

「オンライン授業は案外良いぞ」

現在大学ではオンライン授業中心なので、私は週1~3回(週によって変動します)の対面授業がある日以外は基本家で講義を受講しています。本来講義は105分で授業間の休みは10分ですが、大学側が学生に配慮してくださり、オンライン授業は90分、休みは25分で行われています。対面授業が少ないことはとても残念ですが、オンライン授業もいいところがあると思います。
まず私はコロナ前とにかく頑張れば報われると思っていたので無理をしすぎてよく体を壊していましたが、自分をみつめる時間が増えたことで無理をしすぎないようになりました。次に家事を手伝うようになりました。
受験生時代はどうしても夜遅くに家に帰るため家事を両親に任せきりでしたが、現在は夕方に家にいるので授業間の25分間で洗濯物を取り込んで、たたんで、お風呂をいれています。これだけのことなのですが、母がとても喜んでくれるのでオンライン授業でよかったなと思います。

文科一類 1年 K.K.

 

知らないということ

一年以上にわたってコロナ禍が続き、「元の生活に戻りたい」という気持ちからくる不満や反感が、社会に溢れることはもはや当たり前になってきた。自分は一年生なので、この感染症との戦いを三月までは受験生という立場で過ごしてきた。受験への準備段階は社会との関わりが非常に薄くなるので、元々我慢をする場面が多く、この状況に適応するのには向いていたと言えるかもしれない。
晴れて大学という新たな環境に踏み出し、オンライン授業やインターネットを活用した交流にもなんとなく適応しておよそ3ヶ月が経つわけだが、ふと考えたことがある。
自分は「普通の」大学生活を知らない。すなわち、取り戻したい元の状態を知らない。
何を求めているかがはっきりしないから、どのような行動を起こせば良いかもわからないし、何に対して声をあげれば良いかもわからないのだ。
この経験は、「知らない」という状態のリスクをわかりやすく示しているのではないかと思う。
現代は、あらゆるものの情報に容易にアクセスできる一方で、その選択の任意性も非常に高い時代だ。それは、自分がよく知っているものをはるかに超える量の、知らないものがあるということでもある。全てに精通しようとすることは難しいし、不可能だ。だからこそ、自分には知らないことがあるのだ、と認識する謙虚な姿勢はもちろん、他者にも知らないことがある、と思いやる気持ちもコミュニケーションにおいてより重要になっていくのだろう。
「無知の知」への身近な気づき、これが私の大学入学後の大きな学びの一つだと思う。

理科二類 1年 T.I.

 

参考リンク
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原稿作成/2021年6月
企画・構成/「キミの東大」企画・編集チーム