新型コロナウイルス禍――今、東大生は考える(14)

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異例の大学生活に直面した東大生のショートエッセイ 第14回

2020年から始まった新型コロナウイルス感染症の流行を受け、東大では授業はもちろんのこと、学生の交流や課外活動にも大きな影響が生じています。様変わりした大学生活を送る中で感じたこと、考えたことを、東大生に綴ってもらいました。

戦記

コロナで外出できないからと家にこもっていたら体重が10キロも増えた。元々痩せ気味の私でも危険レベルである。明らかに運動不足なので外に出ることにしたが、行くあてもない。風の向くまま気の向くままに彷徨っていると、気づけば神田神保町にいた。
神保町は古本の街。本好きの私にとって天国のような場所である。その日から私の趣味は古本屋巡りになった。
さて、古本屋巡りをすると必ず目につくものがある。戦記だ。太平洋戦争は日本人にとって相当衝撃的な事件だったようで、どこの古本屋にも大抵ある。有名な軍人の手記から戦友会の編纂した文集、一個人が自費出版したものまで種類も豊富。
家にこもりながら、古本屋で購入した戦記を読んで先人の苦労を偲ぶのも良いかもしれない。ただし、結局運動にはならないから体重は増えていくままだ。

勉強中の男子
文科三類 2年 村野茂平

 

自動車教習所の思い出

今年の1月から自動車教習所に通い始めて、先日やっと卒業できた。2ヶ月ほどではあったがとても大変なものだった。
多くの友達がすでに免許を取得した中、私は後回しにしていたが、2年の冬にようやく取得する気持ちになった。最初に全ての教習を予約する短期集中コースで申し込み、卒業予定は3月はじめ。そんなに時間がかかるわけでもないので、春休みも後半は楽しめるだろうと高をくくっていた。
しかし、実際に始めると運転はとても難しかった。自宅に自家用車がないため、車の基本的な動かし方もなかなか覚えられない。目線のとり方、歩行者の発見など指導員にたっぷり怒られた。補習もとても多く、憂鬱な日々が続いた。
そして先日ついに教習所を卒業できた。通常の1.5倍以上も時間がかかってしまったが、なんとかなるものだ。自動車教習は私にとって前期課程のどんな授業より難しく苦しかった。免許を取得した解放感とともに後期課程の勉強も頑張りたい。

文学部 3年 cars

 

観念は無力だなと思う

このコロナ禍では、「個人の自由そのものが他人への攻撃になりかねない」ことが、避けようのない大きな問題であると思う。マスク着用等は自由というよりまだマナーの範疇だとしても、コンサートに行く、屋内で友達と話す、複数人で歌を歌う、好きなチームを大声で応援する、などは普通なら明らかに個人の自由の範疇である。最低限の文化的生活の範疇、と言ってもいい。観念的な心の自由というものが、現実の前では時に無力であることを、コロナ禍で実感させられている。

文学部 3年 M.K

 

小指

足の小指をぶつけた。箪笥の角だ。鋭い痛みが走る。暫くもんどりを打ったのち、ふと考えた。普段私は足の小指を意識して生活しているのだろうか。いや、普段は足の小指のことなんて、考えてもいないだろう。当然あるべきものとして存在してはいるものの、末端すぎて認識されることはない。何かにぶつけ「られ」て始めて、それは輪郭を帯びて意識の中心にのぼり、鮮烈な印象を残すのだ。
もしかしたら、この世の中にはそんな「足の小指」のような事柄がたくさん転がっているのかもしれない。

教育学部 4年 金木犀

 

安田講堂、正面突破!

令和2年度東京大学入学者歓迎式典。
昨年春の合格、入学の東大生に、今年度歓迎式典を催してくださると聞いて猛烈に嬉しかった。しかも安田講堂で、だから。
安田講堂は東大の象徴。美術に関心を寄せる者としては、安田講堂内の小杉未醒の絵など、入らなければ実見できない作品を是非見たい。安田講堂は、東大在籍者なら中に入れると軽く考えていたが、入口に必ず警備の方がいて、構内の他の建物とはどうも様子が違う。昨年、入構できるようになるなり、警備の方に入れてもらえないか尋ねてもみた。けれども、答えはノー。
それが、1年遅れの歓迎式典で、ついに安田講堂内実見のチャンスが巡って来たのだから、一人で大はしゃぎ。
とその矢先、直前に中止が通達された。
昭和44年(1969)、火炎瓶の炎に包まれた安田講堂バリケード。50年以上前の、あの時の熱が、まさか未だに宿り、何かを拒絶し続ける見えないバリケードで覆われているの?
延期の式典で、正面から堂々と安田講堂に入れる日が待ち遠しい。

コロナ14_S.Y.
2021年4月2日の安田講堂
人文社会系研究科 修士2年 S.Y.

 

ソーシャル・ネットワーク・ディスタンス

昨秋よりSNSから離れるようにしている。
SNSにおいて「自分を大きく見せる投稿」や「知ったような物言いをする投稿」は日常茶飯事だ。ややもすると「痛い投稿」や「香ばしい投稿」たち。私にも心当たりは大いにある。
これまで、私の友人たちへの印象はあくまでリアルでの交流に基づくものであり、SNSでの「痛い」や「香ばしい」は、時として見え隠れする彼らの愛すべき小さな一面に過ぎなかった。
それがこのコロナ禍ではどうか。友人たちへの印象が、リアルでは更新されることなく風化し、バーチャルでの「痛い」や「香ばしい」で塗り替えられていく。その勢いはさながら、大量の投稿に埋め尽くされるタイムラインのよう。このままでは修正が効かなくなりそうだ。
というわけで、SNSから離れるようにしている。自戒の念を込めて。

#知ったような物言いをする投稿

経済学部 4年 曙

 

参考リンク
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原稿作成/2021年3月~5月(所属・学年は各自の執筆時点のものです)
企画・構成/「キミの東大」企画・編集チーム