新型コロナウイルス禍――今、東大生は考える(13)

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異例の大学生活に直面した東大生のショートエッセイ 第13回

2020年から始まった新型コロナウイルス感染症の流行を受け、東大では授業はもちろんのこと、学生の交流や課外活動にも大きな影響が生じています。様変わりした大学生活を送る中で感じたこと、考えたことを、東大生に綴ってもらいました。

发现

中国語で“发现”というと主に“気付く”、或いは英語でいうdiscoverやfindに相当する“発見する”とかいった意味になる。例えば、“科学研究几乎每天都在发现重要的新原理”(科学研究はほとんど毎日重要な新しい原理を発見している)といった風になる。

これを日本語の漢字に直すと、“発現”になる。これは現れる、とかいった意味である。日常的に使うことはあまりないだろう。例えば、民族精神の発現、とかいった使い方ができる。
中国語の方にもこの意味はあるが、日本語の方にはdiscoverという意味はない。

ステイホームを中国語に訳すと、在家隔离と言えるだろうか。在家隔离を通して我々はそれぞれ何か“发现”したものがあるのではないか。私に言わせればそれは家族の大切さだった。一日中家にいる上、人類存亡の危機にあって結束力が高まった。この間、コロナとは別で3人もの親戚を亡くしたのでそれも作用したのかもしれない。それは家族の絆の“発現”とも言える。

折りしも3.11からもちょうど10年たった。私はここ最近地震や津波の映像ばかり見返していた。福島の問題はいまだ解決の見通しが経たず、メディアもこぞって廃炉について取り上げている。果たして、日本の危機対応能力は改善したのであろうか。疑問符が“発現”する(この使い方は正しくなさそうだ)。

人間は、危機にあって初めて身近な人やものを大切にすることに“发现”するものであろう。そんな頻繁に危機に直面するわけではなく、10年も経てば記憶は風化してしまう。日々の生活で落ち着いて振り返り“再发现”する時間が必要かもしれない。

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旅を通して自分の内にあるものを“发现”するのも一つの手である。
教養学部(後期) 4年 S.S

 

学友

私は2019年度入学なので、コロナが流行る前と流行り始めたあとの両方の大学を見ている。両者にはどのような違いがあるのだろうか。
もっとも大きな違いは、友人とのコミュニケーションがあまり取れないことだ。SNS上では話せるとしても、用がなければラインをするわけもない。よって、自然な会話は行われない。
コロナ前には、キャンパスで会った友人がたまたま持っていた本から話が膨らみさらに仲良くなったり、「次のコマ何受けるん?」という会話からシラバスでは目にとまらなかった学問分野を知ることができた。しかし、今はその機会が少ない。
学友から受ける刺激は少なくなってしまったが、いや、少なくなってしまったからこそ、大切にしていきたい。

文科三類 2年 村野茂平

 

ピアサポートルームで学んだこと

今年度、私は東京大学の公式機関である、東京大学ピアサポートルームに所属し、学生ピアサポーターとして働いた。
学生ピアサポーターの仕事は東大生の悩みの解決を手助けするための様々なアウトリーチ活動を企画・運営することだ。活動は学生主体であり、バラエティに富んでいる。例えば「あつまれ駒場の部屋」というzoom上でできるアクティビティを通じた交流会や、メルマガの編集などを行った。活動を通じて様々な経験を積むことができた。
また、ピアサポートルームには1年生から院生の方まで幅広い学年、専門の方が所属している。サークルやクラスでの交流では関わることのない人と出会い、刺激を受けることができた。
今年度は対面での交流が激減したが、代わりにピアサポートルームをはじめ多くの新しいことに挑戦し、とても楽しい一年を過ごすことができた。来年度もぜひピアサポーターとしての活動を続けていきたい。

文科三類 2年 tea

 

気づいた会話の大切さ

入学した私を待ち受けていたのは全面オンラインの大学でした。Sセメスターは実家でオンライン授業を受ける日々が続き、同じ大学の友人がほぼいなかった私にとっては言語を絶する辛い期間となりました。そして迎えたAセメスター(後期)、念願の対面授業が始まり、週に1回程度キャンパスに通いつつ一人暮らしを始めました。少しずつ友人もでき、楽しみが増えた一方で自分の気分が周期的に大きく浮き沈みを繰り返していることに気づきました。観察すると最後の対面授業から期間が空くと落ち込むことが増えることが分かり、自分の生活を見つめてみると長い時には1週間ほど店での買い物以外一切の会話をしていないことが原因だと思われました。それまで自分はおしゃべりも好きだけれど喋らないことがあっても平気なタイプだと思い込んでいたので私にとっては大きな衝撃でした。辛いことも多かったけれど自分の意外な一面に気づくことができた一年でした。

理科一類 1年 N.O.

 

写真と思い出と

この間幼なじみと連絡したとき、去年は実際に大学に通ったり友達と遊んだりする機会も少なかったから「いかにも大学生」な感じの写真なんてほとんど撮れてないよね、という話になりました。これは本当にそうなのですが、ふと考えてみると、だからといって思い出がいつもの年より少ないなんてことはありません。次々に期限の迫る課題に追われたのも、サークルでオンラインミーティングをしたのも、わざわざ写真に残すようなものではないけれど「私の大学一年目」の思い出であることに変わりはないな、と。
特別なできごとが写真に残るのは素敵なことですが、写真の多さと思い出の多さは、特に比例するわけでもないのだと思います。むしろ写真は思い出をあとで呼び起こせるように書き留めるためのツールなのであって、日記の文章とほぼ同じなのではないでしょうか。
そう考えたら、カメラを通さずに自分の目で毎日を見つめることをより大切にしたくなりました。

文科三類 1年 Sophie

 

コロナが正当化してくれた、自身の怠惰

コロナという大禍は、私の仕事を奪った。私の研究環境を奪った。私の人間関係を奪った。

本来であれば色々と忙しくしていたはずなのに、突如出来てしまった暇な時間たち。何をして過ごそう。不本意な状況にストレスが溜まっているはずだから息抜きが必要だ…そうだ、バラエティ番組を見よう。久々にゲームをしてみよう。観たかった映画も見てみよう。

そう、本来の自分は怠惰なのである。仕事や研究の圧力に追われず、人との摩擦を気にせず、こんな生活も楽しいのである。
スローペースで、自由な時間を楽しみながらの生活。大きな息抜きとなった2020年であった。

「2020年何をしたのか」と聞かれたら皆さんはどう答えるか。他人に認められるような実績を挙げないと不安で仕方のない人もいるのではないか。
私はおそらく堂々と、「満喫しました」と答えるだろう。だって怠惰を楽しんだのだから。

さて、ここからまた、あの慌ただしい日々に戻れるのかが、いささか不安ではある。

人文社会系研究科 2年 S. K.

 

自分らしさって何やろう

「アボカドさんのことは大体わかりました。」
就活のオンライン面接開始1時間も経たずして、面接官は私にこう言った。本当かい。
上半身だけキチッときめたスーツ姿。
何も映り込まないように工夫した背景。
死角にある数々のカンペ。
本当に私らしさって伝わったん?

面接の最後にはいくつかアドバイスをいただいた。
「東大って名前がごっついから、笑顔を増やして話しやすい雰囲気を出して、印象よくしてくといいよ。」
出たでた、学歴の色眼鏡やんけ。
ねえ、本当に私らしさって伝わったん?

教育学部 4年 アボカド

 

参考リンク
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原稿作成/2021年2月~3月(所属・学年はこの時点のものです)
企画・構成/「キミの東大」企画・編集チーム