新型コロナウイルス禍――今、東大生は考える(11)

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異例の大学生活に直面した東大生のショートエッセイ 第11回

2020年から始まった新型コロナウイルス感染症の流行を受け、東大では授業はもちろんのこと、学生の交流や課外活動にも大きな影響が生じています。様変わりした大学生活を送る中で感じたこと、考えたことを、東大生に綴ってもらいました。

水槽の中の私

 コロナ禍で家から一歩も出ない日が続いた。私の家は、引っ越したばかりで家具も一切なく、ただ机とパソコンがあるだけだ。もちろん、食事はインターネットで注文すればすぐ届く。修士論文を書き終えた私は、全くやることがなくなってしまった。でも、あえて外には出ずにいた。まぁ、ただ出るのが面倒だっただけなんだけど。そんな日が続き、少し気分転換に部屋の模様替えをしようと思い、机の位置を少しずらした。その瞬間、部屋全体が全く別のような感覚に陥った。
 それから数日経過し、私が趣味で飼っている金魚の水換えをしようと水槽を覗きこんだ。その時水槽に写った私を見て、まるで本当に中にいるような感覚になった。あぁ、この金魚たちも同じ状況なのか。餌をねだればもらえ、閉じ込められた空間にいる。そんな事を考えながら水換えが終わり、最後に水槽の砂利で山を作った。

コロナ11_ワハハ軍曹
ウチの金魚の金太郎
理学系研究科 修士2年 ワハハ軍曹

 

新型コロナウイルスが猛威を振るうようになり、私はどこへも行けなくなってしまった。旅好きの私にとっては致命傷である。自室でぼんやりと過ごす時間はなんだかとても味気ない。
旅は、私が私であることを強烈に意識する体験だ。訪れた土地では、自分は異質な他者であり、その風土や人々との違いが明白であればあるほど自分の輪郭が際立つように思う。日常の同質な空間に息苦しさを感じた時、逃避先を旅に見つけていた。
寄る辺のなさや、帰途の絶望感ですら今は懐かしい。せめて学生のうちにもう一度と願ってやまない。

教育学部 3年 金木犀

 

心地良い違和感

入学してから、同級生に一度もリアルで会うことなく、1年間グループワークをしました。何十回もオンラインMTGを重ね、オンラインの公開フォーラムを実施しました。その同級生の一人に、1月末の集中講義で初めて対面したとき、味わったことのない感覚を覚えました。まず、互いにとても親しい気がして相手を信用しきっていると気づいたのです。オンラインだけの交流で、ここまで信頼し合えるというのは発見でした。一方で、その同級生は、画面で勝手に思い込んでいたイメージより、背が高く大柄な人でした。つまり、よく知っていると思い込んでいただけに、それは心地良い違和感でした。1年間オンラインだけだったために、「親しいのに初めて知る」という新鮮な体験を味わいました。

人文社会系研究科 修士1年 S.Y.

 

オンラインの狭間で

オンライン化が声高に叫ばれる世の中、コロナをきっかけにますますその動きは加速した。今や大学はクラウド上のものといってもいいぐらい、文系の私はキャンパスに行く機会がなく、そもそも行ったところで誰に会えるのでもない。

2020年1月、留学中の私は東南アジアを北上して北京まで陸路で戻るつもりだった。1月下旬、コロナパンデミックであえなくその夢は潰え、帰国した。あれから1年経ち、世の中は一向に大学生の置かれている状況に目を向けていないように感じる。最近BBCが大学生の置かれている苦境を報じた。日本だけではないのだ。学問もオンライン手法やAIの導入によってますます変化を強いられていくようになるのだろう。

この一年、私はオンラインの裏でせっせと自らの家系図の作成に取り組んでいた。大学でできることは限られるようになったが、大学の外でもオフラインでできることはあるのだ。何度も東北の親戚らの家々を訪ね、図書館に行って資料を漁り、市役所で戸籍謄本を出してもらい、函館まで行って実地調査をした。社会は縮こまってしまったが、私の世界はかえって広がった。

コロナがなくても元よりネットで解決する世の中になりつつあった。知り合えばすぐさまSNSで繋がり、いつでも誰がどこで何をしているかがわかる。しかしそれでいいのだろうか。デジタルの狭間に失われたアナログを見出すことを、大切にしたい。

コロナ11_S.S
青青しい9月の駒場キャンパス
教養学部 4年 S.S

 

オンライン試験で問われる能力

今年、法学部のオンライン試験は、全科目であらゆる資料が参照自由(但し他者との相談行為は禁止)というルールのもとで実施された。
「資料参照可」と言われると、何をどれくらい勉強したらいいのか、その塩梅が非常に難しかった。というのも、このルールのもとでは、試験で問われる能力が従来からかなり変わっている(と少なくとも筆者は感じた)からである。
試験範囲の内容を事細かに暗記することはあまり意味がない。むしろ、試験範囲の全容を大まかに把握した上で、適切なタイミングに適切な資料を参照しながら問題に当たっていくほうが戦略的だ。実際、社会に出て諸課題に当たっていく際には、信頼に足る情報を適宜参照する事ができる力が求められているのかもしれない。そうすると、参照自由が今後主流になる可能性も否定できないだろう。

文科一類 2年 3days ago

 

研究室

都市計画を専攻する私の研究室にはいつも人がいない。
学生数が少なく、出張も多いからだ。
そしてコロナ禍でオンライン環境が整備されたことを機に、同期や先輩、先生までもが地方の実家に戻り、調査対象地に住み込みで研究を行うようになった。

しかし私の考えは違った。研究室に誰も来ないならば、自分の部屋にしてしまおう。
一人でいるには広すぎる空間は、狭い学生寮や賃貸アパートを六年間、転々としてきた私にとって、無限の可能性を秘めていた。

先輩や同期が使っていた机は接収し、大きな島を独り占めした。自室を占拠していた本、書類、OA機器、お菓子などを、ありったけ持ち込んだ。
それは城。すべてを自分の思いのままにできる、王国。

修了と引き換えに、消えてなくなる定めにある世界。

春の気配を感じさせる暖かな光が差し込み、静寂に包まれた空間はどこか寂しげである。

工学系研究科 修士2年 gome

 

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原稿作成/2021年2月
企画・構成/「キミの東大」企画・編集チーム