新型コロナウイルス禍――今、東大生は考える(18)
コロナ禍の東大 2021.11.01
2020.09.10
#新型コロナウイルス感染症 #新型コロナウイルス感染症 #オンライン授業 #オンライン授業
異例の大学生活に直面した東大生のショートエッセイ
2020年、新型コロナウイルス感染症の流行を受け、東大の授業はオンライン授業が中心になり、学生の交流や課外活動にも大きな影響が生じています。様変わりした大学生活を送る中で感じたこと、考えたことを綴ってもらいました。
本郷の赤門をくぐり、授業を受け、友人と食堂で語り合う。駒場時代とはまた違う、新鮮で楽しい日々が待っているに違いない。漠然とそんなことを考えていた三年の春、突如それはやってきた。
コロナウイルスの襲来。その影響は想像以上に深刻で、対面の授業はおろか友人にさえも会えなくなってしまった。「私の人生、なんてついてないんだ。」何度思ったことだろう。
だがコロナ禍での学生生活はさほど悪いものではなかった。自室での快適なオンライン授業に、毎日のように開かれるオンライン飲み。「大学にいるときよりも喋ってるよね。」そんなことを話しながら、毎日が充実した日々にあふれていた。
今までの日常がいつ戻ってくるかは分からない。戻ることはないのかもしれない。だがどんな状況でも楽しむことはできるものだ。当たり前のことに気づかされた今日この頃であった。
突如始まったオンライン授業で、私の大学生活は一変しました。これまで毎日のように顔を合わせていた友人やサークルの仲間と会えなくなり、一日中パソコンに向き合う日々が続いています。
そんな日常に慣れ始めた頃、単調な日々を少しでも変えようと、私は1つの目標を立てました。それは、「昨日とは違う今日を作る」というものです。最初は「いつか読もうと思っていた本を読んでみる」「久しぶりに友人に連絡してみる」といったごく小さなことから始め、最近はオンラインでのサークル活動や、学内外で行われる様々なイベントにも参加しています。本当に少しずつの変化ではありますが、自分の意識と工夫次第で日常は変えられるのだということを日々実感しています。
私の学部では、来学期もオンライン授業が行われます。今後もこの目標を掲げつつ、限りある学生生活を充実させていきたいです。
先輩方の楽しそうな話を聞いて心待ちにしていた大学生活ですが、大学のキャンパスには数えるほどしか行くことができず、いまだに高校生気分が抜けきれていない気がします。ネガティブなイメージを持ちがちなオンライン授業ですが、オンライン授業だからこそ見えてきたことがあります。まず、チャット機能を使って質問ができるため、リアルタイムで質問ができ、生徒全員で共有できること。自分が質問を思いつかなくても周りの反応を知ることができます。そして対面で学ぶ環境の素晴らしさです。私は高校生の頃から友達と問題集の進みを競ったり、難しいところを共有したりして励みにしていました。友達と共に学べるというのは素晴らしいことだと痛感しました。対面で学ぶことのできる日を待ちながら、オンライン授業ならではのメリットを最大限活かしていきたいと思います。
薔薇色の大学生活とは今考えたらよく言ったものだが、私も漏れなくその甘美な響きに高校時代から憧れを抱いていた。私は東大生によくある「大学に入ってから自分のやりたいことを見つける」と宣言していた人だったので、今回のコロナの状況には心底悄然としてしまった。なんでこの時期に、という思いと、状況を悔いても仕方ないから動き出すべきだという思い、しかし大学が始まらないと動き出すこともできないというやるせない思いが、一人暮らしの6畳半のベッドの上で何回も交錯した。誰とも話さず、誰とも会わず、社会が元どおりになりつつあっても、私の孤独な日々は続いた。夏休みの8月、訳あって私は伊豆に1ヶ月ひとり滞在することとなった。伊豆の海を眺め物思いにふけるうち、あの孤独な日々が私のバックボーンとして存在していることに思い至った。もうこれから先、あれほど自分や社会について考えあぐねる時期はないかもしれない。そう考えると私の大学一年の過ごし方は合格だったのではないかとも思った。
科類とクラス。サークルの自己紹介で登場する項目だ。東大の特色として、前期教養の他に、クラス制度が挙げられる。この制度の有り難みを感じる今日この頃だ。
入学してもキャンパスに通えない日々の中で、各クラスが動き出した。オンライン上で交友関係を模索する。私のクラスも、週に2回のZoom(交流会)を始めて、約3ヶ月が経った。会えないからこそ、相手のことをもっと「知りたい」と思う。普段なら風に流してしまうような言葉も、相手の中に眠っている色々な逸話も、その一つひとつを、かみしめて、掘り下げて、会話を紡いでゆく。その時間は私にとって、閉塞的なこの状況で、大きな心の支えとなっていた。
そんな貴重な機会でも、クラスの全員が参加するわけではない。積極性には差があるものだ。
「大学に入ったら、自分から周りの人に関わっていくこと」コロナ禍でより一層、高校の先生の言葉が胸に刺さる。こんな今だからこそ、能動的に一歩、踏み出そう。
オンライン授業はしんどい。肩が凝るし目もやられる。ゼミの発表中にばあちゃんが侵入してくる。何よりしんどいのは、生身の友人と喋ることができないことだ。
大学は価値観の違う友人との知的な摩擦の場でもある。普通の公立高校を出た私は、未だに少年期を海外で過ごした友人の語学力に圧倒されたり、趣味がバイオリンだと聞いて卒倒しかけたりする。友達の方言に興味を持ったり、家にあるのがこいくち醤油かうすくち醤油か聞いてみたりも。
オンライン授業の弱点はここにある。画⾯上での会話はぎこちなくなりがちで、相手の考えを知りづらい。しかもこれは技術上なかなか解決しづらい問題である。
秋からの授業もオンラインでやると学部から通達があった。それでも私はサークルでの友人との交流、それから馴染みのラーメンを求めて東京に出るつもりだ。乞い願わくは、早く世界が秩序を取り戻し、赤門をくぐって温かみのある大学に帰れると良いのだが。