VRで私たちの生活は変わりますか?―情報理工学系研究科・雨宮智浩准教授(3)
研究室探訪
2021.05.07
2019.02.01
#人文社会系研究科
#人文社会系研究科
#研究
#研究
#東大の先生
#東大の先生
#国文学
#国文学
#和歌
#和歌
PROFILE
渡部 泰明(わたなべ やすあき)
1981年東京大学文学部国文学専修課程卒業、1984年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専門課程修士課程修了、1984年東京大学大学院人文科学研究科国語国文学専門課程博士課程退学、1986年東京大学文学部助手、1988年フェリス女学院大学文学部専任講師、1991年フェリス女学院大学文学部助教授、1993年上智大学文学部助教授、1999年東京大学大学院人文社会系研究科助教授、2006年同教授。主な著書に『和歌とは何か』(岩波書店)、『中世和歌の生成』(若草書房)、『古典和歌入門』(岩波書店)、『中世和歌史論 様式と方法』(岩波書店)などがある。
和歌を研究していると聞くと、皆さんは何を今さらと思われるかも知れません。しかし、800年も続いている和歌は日本文化の屋台骨になっており、演劇や宗教のみならず現代の漫画にもつながっています。もちろん、我々自身や天皇の役割などを問い直すうえでも、和歌抜きには語れません。
私は語学が苦手なので日本語で通用する国文学に進んだのですが、学部時代は演劇に熱中してあまり勉強しなかったので、そのままでは格好付かないと考え、大学院に進みました。自分たちの足元は何かを考えてみたいと思い、現代まで続いている和歌の研究を始めたわけです。
なぜ和歌が現代まで続いているのか簡単には答えられませんが、私は「演技」「連想」「祈り」「境界」という4つのキーワードで説明できるのではないかと考えています。
まず、和歌は、心の状態を表しているのではなく、喜怒哀楽などを「演技」しています。私たちは、その演じ方を味わうことができます。また、和歌は古今集などを「連想」して詠まれており、それとの関連で想像することが面白く、長く続いた理由だと思います。
さらに、和歌はこうあってほしいという願いを表しており、それが「祈り」です。日本人は無宗教だと言われますが、底流には祈りがある。それが西洋とは違う宗教の形であり、和歌によって救いを求める感覚が培われ、現代日本人の情念につながっています。「境界」は異界の人々とのコミュニケーションを活性化し、全く違う価値観を持っている人々を結びつけます。和歌が時代を超えて続いているのは、この4つが時代を超えて人々の心に共鳴するからではないかと思います。
ただ他方で、貴族が嗜んで花開いた和歌が、なぜ庶民の心情にまで影響を及ぼしたのかといった疑問もありますよね。貴族だけのたしなみであれば、貴族が没落すれば和歌も衰退するはずだからです。しかし、中世の武士が権勢を誇るようになっても、権威である天皇や貴族を利用するために、武士や坊主も和歌をたしなんだので廃れませんでした。
南北朝時代になると、和歌が庶民に広がります。その後、和歌がベースになり、連歌、俳句、川柳、短歌につながっていきます。現代短歌は和歌と違うと言われますが、五七五七七という形式は同じであり、形式の持つ重みが現代につながっています。
国文学は古式蒼然というイメージがありますが、和歌を追っていくと作者の生年月日の発見や、新しい解釈を提示する面白みがあります。また、教え子が先生になることが多いので、私が言った印象に残ったことを、何百人何千人の生徒に伝えてくれることが楽しくて面白いのです。今後は、なぜ時代を超えて和歌が続いたのかをまとめることが、喫緊の目標です。
「一番つまらない」と言われたこともあるテーマを扱ってきましたが、「なぜ」和歌が時代を超えて続いてきたのかを考えるうちに、和歌が演劇や宗教、現代の漫画にもつながる面白い世界であることがわかってきました。そんなふうに、800年前から続く和歌を研究することは、今の日本人や日本文化を見つめ直し、未来への道筋を解き明かす上で大きな意味があるのです。これから大学に進む皆さんには、どんな分野にいっても「なぜ」と問うことを忘れないようにして欲しいと思います。